2022年9月26日(月)

コラムの時代の愛−辺境の声−

2016年10月21日

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藤原章生 (ふじわら・あきお)

記者・作家

記者・作家。北海道大学工学部卒。1989年より毎日新聞記者。ヨハネスブルク、メキシコ市、ローマなどに駐在。2005年、『絵はがきにされた少年』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『ぶらっとヒマラヤ』(毎日新聞出版)。
 

 

 ニューヨーク・タイムズのブックレビューに書評を書いている彼が読んでいない。そして、彼を含む歴代の受賞者には候補を推薦する権利があることを思うと、残念な答えであった。そこで、私はもう少し一般的な質問をした。

 (1)スウェーデンアカデミーが選考する際の彼らの趣味についてうかがいたい。

 以前、私が南アフリカに暮らしていた頃、ノーベル賞作家のナディン・ゴーディマ氏が当時読んでいたサルマン・ラシュディとジョゼ・サラマゴ(ノーベル文学賞受賞者)がいいと薦めてくれました。その時彼女は私に「今、どんな小説を読んでるの?」と聞いてきたので、実際そのとき読んでいたジョン・アーヴィングの名を挙げました。すると、彼女は「アーヴィング? 彼があなたのお気に入りなの?」と半ばあきれるような、軽蔑するような口ぶりでした。この時の彼女の表情こそまさに「アカデミーの趣味」を象徴していると私は思ったのですが、いわゆるエンターテイメントの匂いやイメージのある作品をスウェーデンアカデミーは評価しないのでしょうか。

 (2)ノーベル賞のローカル性について。

 あなたが03年にノーベル賞を受賞した直後、私の勤める新聞に書いてくれた受賞報告のエッセーで、あなたは賞の創設者ノーベルの国際主義という理想とスウェーデンの知識人らによる評価、管理というローカル性の矛盾に触れていました。

 ノーベル文学賞は国際的というより、国内的な賞だと、まだお考えになっていますか。

 こんな長い質問を送ったのは、彼が新聞のためにエッセーを書いていたころ、私は最初の読者として常にこんなやりとりをしていたからだ。拙いながらも、こちらの意見を率直に言えば、必ずまじめに答えてくれる人だったからだ。

 すると、本の催しでイタリアに出張していた氏から、1日置いてこんな返事があった。

 「(1)ノーベル文学賞はその歴史を見ると、作家たちが現代よりも重んじられていた時代に創設されたものです。トルストイを見ると、彼は1910年に亡くなった時、世界でまあ最も有名な人物と言われていました。作家はその時代の思想(thought)に大きな衝撃(impact)を与えうると、アルフレッド・ノーベルは信じていました。スウェーデンアカデミーは今も、この精神にのっとって賞を与えると私は思っています。

 (2)ノーベル賞の創設間もない頃、文学賞は不釣り合いなほど、スカンジナビア半島の作家にばかり与えられる傾向がありました。でも今は、賞の性質として特段どこかの国をひいきするようなことはなく、正当に国際的な賞だと見なされ得ると私は考えています」

 二つ目の答えは、私の質問に問題があったのかもしれないが、返答から感じたのは、彼が受賞直後のように「科学、文学の分野で特段目立った人物を出していない北欧の人々による選考」という、当時のような皮肉めいた気持ちをすでに抱いていないということであった。少なくとも表面的には。

 なぜ皮肉が消えたのかについては別の機会に考えるとして、わかりやすく、また面白いのは第一の答の方だ。そこにはキーワードが二つある。

 「世界でまあ最も有名」と「時代の思想への大きな衝撃」だ。

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