2024年4月14日(日)

この熱き人々

2016年12月20日

 3人束になっていないと、親に飲み込まれてしまう。姉妹の年の差が6歳。つまり、一番上のトモコは束になりたくてもなれなかった6年があるということで、高校卒業後に選んだ進路が千葉大学の教育学部。父と同じ教師に続く道である。これは父親の影響?

 「もちろんです。自分の将来は教師しか道がないと思ってましたから。教師になるのはイヤだ、音楽をやりたいって思ったのは大学4年になってからで、おかげで就職浪人してしまって。学生下宿も追い出されてボロボロになって、一日中布団の中でゲームパッドを握り締めてました。そこでゲーム音楽もありかと気づいて、デモテープ持参でセガを受けたんです」

 教師になるはずがセガ・エンタープライゼス(当時)でゲームクリエーターに。「ナイツ」や「ルーマニア#203」など数々の作品は業界で評判になった。

 妹のワカバにとっても父は怖い存在であることに変わりはないが、目の前に風よけになってくれる姉がいたのは大きかったのだろう。少なくとも、自由に好きな絵を描ける道をストレートに追求してきたように見える。

 オニの父の厳しさに打ち震えながら、音楽や絵の才能を姉妹の中に豊かに育んだものはいったい何だったのだろうと思うと、母の存在が浮かび上がる。

 「母は、16、7歳の頃からボランティアで絵本の読み聞かせをしていて、いまでも続けています。だから絵本は家にいっぱいあって、絵本のための蔵まであったんですよね。母から読んでもらう絵本は八戸(はちのへ)あたりの方言で、擬音語が面白くてね。『ジャオ~と裂ける』とか、『ボンガボンガ走ってきた』とか。母の語る東北の方言は何か音楽っぽいんです。それが耳に残って影響されたのかもしれないですね」

 そういうトモコは自ら希望して4歳からピアノを習い、小学校1年の時に初めて作った曲を、坂本龍一がラジオ番組でリスナーからデモテープを募集する企画に応募。優秀作を集めたLPレコードには、トモコの曲も収められているという。ちなみに、当時、曲をテープに録音してくれたのは父だった。

 トモコが南部弁の音楽性に感応したのに対し、妹のワカバは絵本の絵のほうに感応したようで、とにかく絵を描くのが大好き。

 「絵が上手かというとそうでもなくて、デッサンとか下手なんですよ。ただ姉がピアノをやっているので、私もやりたいってピアノを習ったんです。姉はコンクールで賞なんかとってくるのに、私は全然ダメ。大嫌いだと気づいたけど、やめられなくて13歳ぐらいまでやって、やっとやめた時にはせいせいしましたね」

 姉の後を追いながら、自分は姉とは違うと気づき、自分の好きな道を発見していったというわけだ。

 オニと恐れながら、姉妹ともに父を否定しているわけではない。言葉の端々に愛情がにじみ出ている。頑固で、自分の信念で家族を作り上げようとする父と、10代からの趣味を盛大に続けて、いまでも地元で読み聞かせや方言によるおとぎ話の会の会長として自由に活動している母。東京ハイジの原点は、家族と故郷の中で育まれたのだろう。

 「父と母は、女子高の教師と生徒の関係だったんです。母が生徒会長で父が顧問の教師。卒業して母が19歳のときに結婚して、20歳で私が生まれてるんですよね」


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