「ただ子どもがいないんじゃなくて、ほしくてたまらないのにいなかったので、実は子どものいる母親に何となく敵意みたいなものがありまして……妹から話がきた時には、『何? しつけだと!』という怒りのテンションから入ったんですね」
動画は、親が必要なことだからやらせるという上意下達ではなく、子ども同士が、虫歯にならないためにバイキン君をこうやって追い出すんだよと情報を伝え合うスタンス。子どもは親から言われると反発するか、バイキンより親が怖いから従うかというパターンになりがちで、あわよくばサボるという展開になってしまう。ところが、トモコの怒りからのアプローチがなぜか子どもたちを動かして、1年でポータルサイトが終了すると、世の親たちから「なくなっては困る」と苦情が殺到。それにこたえるためYou Tubeに東京ハイジのチャンネルを立ち上げたことが、現在のブレークに繋がったという経緯のようだ。
「それまでと違って子ども向けということで、バックのオケ(ボーカル以外の伴奏)も薄めにして、歌詞も曲もサクサクとできました」
それまでと違って、ということは、子どものしつけの動画が東京ハイジのデビューではないのか? では、東京ハイジというユニットはいつ誕生したのかという、けっこう重要な問いが生じる。
「いつからか……何かボヤボヤ~っと始まってるので。たぶん、1997年頃、『デザインフェスタ』というアートイベントに『王様の銀の鈴』という動画作品を東京ハイジの名前で出品した時ということになるのかな。仕事で組んだわけじゃなくて、ふたりで遊びとして一緒に作品を作り始めていたのが、何年かたって仕事になっていたって感じだから」
姉が東京に出て、10年後に妹も東京に出てきて、ふたりで音楽と絵を合体させて遊び始めた時がいつだったのかと聞かれても、答えは「よく覚えていない」ということになるわけだ。
それぞれの世界を模索
故郷を離れた都会で、こんな風にクリエイティブな時を遊ぶ姉妹の姿は、世の中には珍しいのではないかと思う。どういう幼少期を過ごしたのだろうかと興味がわく。
「小さい時から発表会ごっこみたいなことをして遊んでました。もうひとり弟もいるので3人でね。仲はよかったです。親が厳しいので、自然ときょうだいの結束が強くなったんですね」(トモコ)
「特に高校の教師だった父は、学校でのあだ名がオニ。家でもオニと呼ばれてたから」(ワカバ)