「褒めて育てる」が広がった歴史
「褒めて育てる」という言葉は今やすっかり市民権を得たわけですが、この言葉が広がりだしたのはいつごろからだと思いますか?
もしあなたが40代半ばより上の世代なら、褒めて育てられた記憶はあまりないかもしれません。一方、20代の方は、小学校のころからごく普通に接してきた考え方だと思います。
というのは、この言葉が教育の場で強調されるようになったのは、今から25年前、1992年に施行された「新学力観」との関係が深いからです。
新学力観とは、「自ら学ぶ意欲や,思考力,判断力,表現力などを学力の基本とする考え方」であり、それまでの詰め込み型教育、偏差値競争の過熱への反省から、学校指導の新しい方針に据えられました。
そして、「自ら学ぶ意欲」を育てるには、子どもたち自身の取り組みを「褒める」「励ます」という関わり方が有効ですから、この新学力観の広がりと共に「褒めて育てる」も望ましい教育法として広がったのです。
ところで、「自ら学ぶ意欲、思考力、判断力、表現力」・・・あれ?今まさに教育改革の目標に上がっている項目なのでは?25年も前に提唱されていたの???と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうなのです。「2020年教育改革」と呼ばれることも多い「高大接続・入試改革」ですが、目指す教育成果は、25年前からずっと意識されてきたのですね。
グローバル社会の中で生きていく力を、新学力観は見据えていたわけです。
その正しい路線だったはずの1990年代からの教育改革、いわゆる「ゆとり教育」ですが、結果としてさんざんな評価に終わったことはご存知の通りです。
学力低下の批判を浴び、(事実かどうかは別にして)向上心がなく打たれ弱い若者を育てたと言われ、文部省(当時)の現役官僚が『「ゆとり教育」亡国論』(大森不二雄著)を発表するような事態となりました。
目指したことは決して間違っていなかったのに……
なぜ失敗に終わってしまったのでしょうか。
目標としたことは決して間違っていないはずなのに……
その原因は、教育現場において極端な平等主義が取られ、子どもの自主性の尊重が過剰なまでに求められた点にあると私は考えています。