前回の内容:「ポケモンとディズニーの共通点と相違点」
浜野 それはそうと、「ポケモンセンター」っていう、ポケモンの関連商品が買えるお店がありますが、直営店を出すっていうのは、そんなに簡単じゃないと思う。お店を作った動機は?
石原 ゲームの中に、ポケモンセンターという施設が実在します。それがもし現実空間にもあるんだと知ったら、 子供たちはきっとびっくりして、行きたいと思うに違いないと考えたからですね。
ポケモン・ビジネス史と小学館
浜野 任天堂のほか、雑誌『コロコロコミック』でのポケモンの連載ですとか、映画づくりですとか、ポケモンの発展に小学館とのタイアップも大きな役割を果たしたでしょう。
思えば小学館という出版社も、子供のことばかり考えてきた会社ですよね。そこと組んだきっかけは何かあるのでしょうか。
石原 任天堂「ゲームボーイ」の携帯型ゲーム機のソフトとして、ポケモンが世に出たのは1996年。そのときゲームボーイは発売以来5年が経っていまして、当然ながら任天堂には、ゲームボーイ自体を改めて、テコ入れしようという気持ちに乏しかった。当たり前ですよね、発売から5年も経っているのですから。
そこで我々なりに、爆発的な宣伝力をどこかに求めようとしたんです。それが『コロコロコミック』(小学館)でした。「ミニ四駆」で、当時大変な流行を作り出していた雑誌ですから。
そんなことで、小学館に相談に行きました。コロコロにポケモンの記事を載せてくれませんか、と。それが始まりです。
でも小学館との付き合いはそれ以前から、僕自身にはありました。
糸井重里さんの「APE(エイプ)」という会社に居たとき、小学館と組んでゲーム攻略本を作ってましたからね(コピーライターの糸井重里氏は1989年、同社を設立。任天堂ゲーム開発のため、才能を多方面から集めることがひとつの目的だった。)。
任天堂がつくるゲームの「ガイドブック」と呼んでいたような本を、小学館と随分作りました
ポケモン・ビジネス史と東宝
浜野 なるほど。小学館と組んで、小学館が持っていたノウハウ――「ドラえもん」をずっと育てて世界に広めてきたノウハウが生きたという面があったでしょうね。映画づくりにおける東宝とのタイアップにも、そこからつながったでしょうし。
石原 はい。
司会 小さなお子さんがいないと分からないでしょうが、ポケモンの映画はヒットするんですよね、浜野さん。そして、映画の配給がずっと東宝。
浜野 去年なんて、邦画部門興行収入第3位ですよ。
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