殺しを手伝え
海外に進出する日本企業には「犯罪者には抵抗しないこと」とのガイドラインがあるはずだ。だが、これもケースバイケースである。日本人は弱くて抵抗しないとなれば、必定、犯罪者にとって日本人は狙いやすいアンパイとなる。自然、日本人が狙われる。
もちろん、拳銃をつきつけてくる、プロの犯罪者に対しては別の対処が必要となる。私の部下や知人に起きたことは、その種の、しかもベネズエラ特有といっていい犯罪だった。
ある日、部下のイシドロは無断欠勤した。病欠のときは必ず携帯で連絡をしてきたので、携帯電話か車を盗まれるような犯罪に巻き込まれたのではないかと心配した。だが、彼はそれ以上の目に遭っていた。翌日オフィスに現れたイシドロはこんなあらましを語った。
夜8時頃、薬局で薬を購入し、自身の車のドアを開けた。と、同時に首筋に銃口をつきつけられた。
「乗せろ!」
一人は助手席に、もう一人は後部座席に乗り込んだ。10代後半と20代前半の若者二人だった。車泥棒ではない。目的は別だ。彼の車はツードアの古ぼけた小型車で、泥棒も食指が動かない。
「車を出せ、サンタクルス街に行け」
もっとも危険な地域である。麻薬販売の拠点で、ドラッグハウスと呼ばれる家まであり、刑務所の囚人である首領や幹部(ベネズエラではプランと呼ばれる)たちが自由に出入りしていた。真意を測りかねたイシドロは聞いた。
「何が欲しい?」
二人とも低い笑い声をたてて答えた。
「これから、人を殺しに行く。言う通りに運転しろ」
背筋が凍った。冷や汗が頬を伝い、ペダルを踏む足が硬直する。妻子の顔がちらほら頭の中にちらついた。勝手知った街を指示されるまま車を進める。時折、犯人は携帯電話をかけ、殺害する人間の居場所を誰かに聞いている。
夜道をいわれるままに運転し、駐車し、発進する。あっちのアパートで待ち、こっちの倉庫の後で待ち、向うのパン屋の裏に潜む。なかなかターゲットは見つからない。運転する手が冷や汗に濡れる。車のクーラーは効きが悪く、窓を開けたままになっている。一時間弱ほど探して、犯罪者同士が話し合った。
「無理だな、今夜は」
「明日だ」
「OK、おまえ、持ち金と携帯電話を出しな、あとカーラジオをもらっていくぜ」
「もちろん、警察には内緒だ、いや、言ったらもっと厄介だけどな」
助かった! 全身の力が抜ける。
イシドロは言われるままに携帯と持ち金を差し出した。隣の犯罪者は慣れているのだろう、器用な手でカーステレオをはずし、自分たちの根城があるのだろう場所で降り、イシドロを解放した。