介護は期間工じゃない
「実習参加者は、何としても仕事を見つけたいという気持ちで、一生懸命働いていた。しかし、一部の事業所からは、雇うのは難しいだろうという声も聞かれた」
そう語るのは大分県社会福祉介護研修センター所長の一宮公人氏だ。大分県では、緊急雇用対策として、今回の不況で雇い止めとなった派遣社員・契約社員で、介護業界に関心のある人を対象に、介護施設での実習を1週間実施した。県内の16の施設で、35名が参加。介護の大変さを目の当たりにした、体調を崩したという理由で4名が途中で抜けたが、31名は最後までやり遂げた。今後は県内の各施設にそれぞれが求職活動を行う予定だ。
大分県は「もともと仕事が少ない」(地元関係者)上に、今回の不況が追い打ちをかけた。そのため、実習の参加者たちは必死だったはずだ。脱落者が少なかったのもそういった背景があるからだろう。
介護業界は慢性的な人材難のはずなのに、なぜ冒頭のような声が聞かれるのだろうか。確かに「人手不足で困っているのは福岡などの都市部で、地方はまだ余裕がある」(一宮氏)ことも一因だろう。だが、今後の高齢化社会を考えれば、施設としても中長期的に介護スキルを持つ人材育成は重要だし、熱意のある人は歓迎するはずである。
一体どうしてなのか。
介護業界の抱える構造的問題
「相手との人間関係や信頼関係を一歩ずつ深めていくことに喜びを感じられる人には、介護の仕事はやりがいがある。逆に、自分が理解できない相手の行動にすぐ怒りを感じてしまう人や、機械的、合理的に仕事をこなしたい人にとっては苦痛でしかないでしょう」と、あるグループホーム勤務の介護福祉士は言う。
おしめの交換一つとっても、相手に信頼されなければ「肌にも触らせてもらえない」(同)。様々な試行錯誤を経て、辛抱強く人間関係を築くプロセスが不可欠になる。一筋縄ではいかないことも多いが、それを乗り越えたときの喜びは大きい。また「大変でも、高齢者と深く関わるなかで相手の表情が明るくなり、自分のやりがいに繋がる」(グループホームみやびの里の金山泰三氏)仕事でもあるのだ。
金や数字で表現できる成果を追い求め、それこそが仕事のやりがいだというような労働観の強まる現代社会において、介護業界にフィットする人材は少なくなっているのかもしれない。
こういった事情もあってか、他業種からの転職者はなかなか定着しにくいという。施設側としても教育費が無駄になるのは避けたいから、適性を十分に判断した上でないと採用には踏み切れない。
もともとは、介護に関心を持つ人は決して少なくなかった。3K職場などと悪いイメージが広まっている介護業界ではあるが、多くの資格保有者が存在する。厚生労働省の調べでは、介護福祉士の資格を持っていながら、実際に介護業界で働いていない人の数は20万人にものぼる。大抵の介護施設では、職員採用の条件として、ヘルパー2級や介護福祉士の資格を条件に挙げている。特に現場実習を2~3カ月経験し、ヘルパー2級より専門的な知識を持っている介護福祉士は即戦力になりうる存在だ。
それなのに、なぜこれほどの「休眠」介護士が存在するのか。それは、介護業界の低賃金で過酷な労働条件が原因だ。
厚労省の調査によれば、介護職員の平均的月収は21万円。全産業平均の33万円を大きく下回る。やる気があっても、この給料ではとても家族を養えないという理由で、途中で転職してしまう人が多いという。さらに、男性非正規社員の平均年収は300万円弱であるが「介護の場合は、正規職員でも夜勤を何度かして、やっと300万円台になる」(結城康博・淑徳大学准教授)という状態だ。
その結果、新たに介護業界を目指す若者の数が減ってきている。厚労省の調べでは、介護福祉士の資格を取得するための大学、専門学校などの定員充足率は、06年で72%、07年は64%、08年は46%と悪化の一途を辿る。さらに、「仮に資格を取って卒業したとしても、親や学校の教員までもが介護分野への就職を止めさせる」(福祉学科系大学関係者)という有り様だ。
介護業界は人手不足の負のスパイラルに完全に陥ってしまっている。
雇用の調整弁にするな
「このままでは、介護は期間工と同じで1~2カ月の研修でやれる仕事だと思われる」
前述の結城氏はこう指摘する。介護は高齢者の生活を向上させるためのもので、食事、入浴、排泄など、様々な場面で専門的技能が要求される。本来ならば、医療分野における看護師のように、その技能はもっと社会的な評価を受け、それに応じた報酬を受けるべきなのであるが、実態はその逆だ。
その一例が今年の4月から実施される介護報酬の3%引き上げである。これは、全ての介護サービスに支払われる報酬を一律3%に増やすのではなく、介護福祉士やベテラン職員の多い事業所や、夜勤勤務といった負担の大きい業務を対象に多くの金を分配するという考えに基づいている。
これによって、介護職員の給与は月2万円程度上がると政府はみているが、慢性的な赤字事業体も多いことから、給与に本当に振り向けられるのか疑問は残る。また、介護分野に人が根付くためには「月6万円程度の報酬アップが必要」(結城氏)との指摘もある。
抜本的な待遇改善のためには介護保険の財源である、介護保険の利用者負担や国の負担金が増えることになるが、その額は過去の民主党の試算を参考にすれば5400億円と膨大だ。
現在打ち出されている国や自治体の政策は離職者に対する資格取得補助や、雇用した事業所への一時金にとどまる。20万人もの「休眠」介護士が存在するにもかかわらず新規取得を援助し、待遇改善せずにカンフル剤的な一時金でお茶を濁すのは、介護業界を雇用の調整弁と見ている証だろう。考えなければならないのは、介護を長期的に支える人材づくりのはずだ。
今回、仮に介護業界に一時的に雇用が吸収されたとしても、景気が上向いた途端に転職するのは目に見えている。そういう人たちに介護業界が踏み荒らされれば、「熱意を持って働く現場の介護職員の士気は下がる」(特別養護老人ホームいきいき八田の山本明美施設長)のは間違いない。
介護技能の社会的認知向上を
介護業界に必要なのは「介護は専門的な技能を必要とする尊い仕事である」という社会的な認知である。また、「作業療法士の資格をもったヘルパーを養成するなど、付加価値をつけたり、介護の専門性を外部にアピールすること」(国立社会保障・人口問題研究所野口晴子氏)も必要だろう。
厚労省の試算では、介護市場に必要な労働者数は14年までに約150万人。現状では110万人に過ぎず、このままでは満足なサービスが得られない事態も考えられる。介護サービスを安心して受けられない社会になれば、家族の面倒をみるために、会社を途中でリタイアせざるを得なくなる人も増えるだろう。
実際、総務省の就業構造基本調査によれば、親の介護・看病のために離職したり転職した人の数は02~06年で57万人弱。同年前期比で4万人の増加となっている。
こういった危機感を社会全体で共有しなければ、介護報酬の財源となる利用者負担や、増税につながる公費負担の上昇について、国民レベルで合意することはできない。