製造業の弛緩と労働観の変質
金融危機による急速な景気悪化で大量の失業者を生み出している製造業の側にも構造問題が存在する。
景気悪化で放置される製造業の構造問題
齊藤誠・一橋大学大学院教授はこう喝破する。
「2002年以降の景気回復で日本製品が国際的な価格競争力を保っていたのも、過度な円相場の追い風を受けていたにすぎない」(岩波書店『世界』09年2月号より)
超低金利政策がもたらす過剰流動性に支えられた、いわば〝円安バブル〟で、自動車産業や電気産業といった輸出産業は本質的な体質強化を迫られることなく、生き延びてきたと言えるわけだ。さらに齊藤教授は、こうも指摘する。
「激しいグローバルな競争にさらされている企業は、生産性の高くない設備投資から国際水準の投資収益率を必死に確保しようとして、労働コストを極力切りつめてきた」
本来なら円安による収益で競争力の根源である現場力の向上や人材教育に注力しても良かったところだが、現実に起きたのは、非正規雇用の活発化であり、人材教育の過度な絞り込み、仕事の極度なマニュアル化だった。そしてそれらが組み合わさってもたらされたのが〝ヒト〟の〝モノ〟化であり、労働観の劣化である。
土台危うきモノ作り立国
「会社は技術継承と言うが、引き継ぐ相手がいない。採用してくれと頼んでいるんだが、来るのは派遣や請負ばかり……」。数年前から、団塊世代の大量退職(通称2007年問題)が迫る、あちこちの現場からこのような声があがっていたにもかかわらず、定年延長や非正規雇用でなんとか凌ごうとしてきた製造業。
以前であれば指導で罵声が飛んだ現場は静かになった。正社員や期間工といった直接雇用よりも派遣社員や請負社員が増えたために、指導する必要がなくなったからだ。「出来が悪ければ、取り替えてくれ、といえば済みますからね」現場管理者からはそんな声も聞こえてくる。
海外展開を推進する、ある自動車メーカーでは、指導役で送り込むべきベテラン工員が枯渇し、経験の少ない大卒社員を送らざるを得なくなり、“学徒出陣”と呼ばれたほどだ。
「失敗学」を提唱する畑村洋太郎・工学院大学教授はこう指摘する。「製造業の企業は、極限までムダを省き、決まったことを決まったとおりにやるのが仕事と労働者に叩き込む。多くの労働者は、本質的な能力を蓄えていない。だから今回のような変動が起これば、そこでしか役に立たないマニュアル人間が大量放出されてしまう」。
「介護も農業も〝将来に対する見通し〟が全く描けないのが最大の問題だ」と山田昌弘・中央大学教授は言う。そんな見通しのなかでも、腰を据えて我慢しながら、仕事に向き合い、やりがいを感じてくれる人材を、介護も農業も求めている。そこに、“ヒト”を“モノ”化してきた製造業から放出される人材がなかなか適応しないのは、ある意味で当然といえるかもしれない。
製造業については、雇用や設備のリストラと、雇用創出策としての新産業育成ばかりが議論されているが、それより前に支える人材の育成のあり方と、働く人々の労働観をどう再構築するかという、本質的な問いを投げかけられていると考えるべきだ。それができなければ、「モノ作り立国ニッポン」の再生はない。