変容する労働観
働くことのあるべき姿を取り戻す
内閣府が行っている『国民生活に関する世論調査』は、1997年から「働く目的とは何か」という問いを設けている。97年と2008年を比べると、「お金のために働く」が34%から50.1%に増加したほかは「社会の一員として務めを果たすために働く」など全ての項目が減っている。
続けるから得られる仕事の面白さ
確かに一面として、働くことは稼ぐことだ。しかし、本当にそれだけなのだろうか。そもそも働くこととは何なのか─。最近「個人のキャリアさえ伸ばせればいい」、「面白さが見つかるまでの忍耐を避ける」、そんな人が増えてきたように感じるという、インターネットイニシアティブ(IIJ)社長・鈴木幸一氏に聞いた。
自身の労働観を問うと、コンサルタントとして町工場で改善活動などを指導していた20代の頃の話をしてくれた。入社後しばらくは辞表をポケットに入れたままの状況が続いた。だが、指導していた女性工員が工場長表彰をされたときに流した涙を見て気付かされたという。
「仕事は面白くできる」と。小さな仕事でも自分の役割について創意工夫して責任を果たせば、達成感や周りから認められたという感覚を得られる。それこそが「仕事からしか得られない面白さ」だと知った。
また、鈴木氏は、面白さを発見するまでの時間を「プライド形成期間」ともいう。苦しさに耐えて得た面白さこそが、生きるうえでのプライドになるということだ。
こうした労働観は、なぜ変わってしまったのだろうか。昨年末『職業を生きる精神』(ミネルヴァ書房)を著した、甲南大学前学長で経済学部教授の杉村芳美氏に解説してもらった。
日本的雇用慣行が育んだ労働観が変化した要因は、企業と個人の双方にある。企業は、バブル崩壊以降、構造改革路線に後押しされグローバル化と雇用コストの圧力下で長期雇用部分を極力スリム化し、雇用調整の柔軟化を進めた。
他方、個人主義的価値観の拡大により、「会社に囚われない」働き方が若者を中心に支持されるようになった。働き方も労働意識も多様化した。会社と個人の間の心の溝も広がった。
「自分が頑張れば家族、会社、そして社会もより良くなる」というかつての会社と個人の幸せな関係は決定的に終わってしまった。その帰結が非正規雇用3割社会であり、派遣切りという扱いだ。
世代間でつなげていく労働観という襷
労働観は共同社会の「心の習慣」でもあると杉村教授はいう。時代や個人で価値観の差はあるように見えても、簡単に変わることのない歴史的土壌というものが存在する。日本人の心性に根付いてきた勤労意識は、潜在的であれ生きているはずだ。
こうした意識は、仕事から面白さを得られた経験を持つ人が、次の世代に共有していくことで取り戻すことができる。鈴木氏は、仕事の面白さに気付くまでの間、待ってくれた信頼できる上司の存在や、若い指導員だった鈴木氏を見守る工場長の支えもあったと振り返る。だからこそいま経営者として「(社員が)面白さを見つけるまでの手助け」をしなければならないと考えている。
これは教育の場面でも同じだ。新入社員の3割が3年で辞めるといわれて久しい。本誌連載『子どもは変わる 大人も変わる』筆者の比嘉昇氏は「大人がロマンを語るべきだ」という。組織で働く厳しさや辛さを語る一方で、その先にある喜びや面白さを先輩(大人)が伝えれば、後輩(子ども)は納得するのではないか、ということだ。
杉村教授は、年末からの派遣切りなど労働問題への社会意識が高まるなかで、「働く意識の変化のきっかけになれば」と話す。労働は(会社にとっても個人にとっても)売買されるモノではなく、人生を生きる人間の活動そのものであるという認識が、今回の派遣切りに対する「どこかおかしい」という社会の反応の背景にある。
正規であれ非正規であれ、企業は人生の意味を生み出し、働く意欲を引き出す安定した制度をつくる。働く側は、役割と責任を引き受け、社会や組織にコミットしつつ働くことを意識する。
今回の雇用危機が、時代の課題に応える雇用制度と職業意識を生み出す契機になれば、介護、農業で見られるような雇用のミスマッチも解決の方向に向かうかもしれない。