2024年4月20日(土)

Wedge REPORT

2009年2月20日

必要なのは就農ではなく離農

 冬晴れの1月最後の日曜日、福島県農業総合センター(郡山市)では県と地元の農業振興公社、農業法人協会による臨時の就農相談会が開かれた。県内では今年3月末までに約4900人の非正規労働者が失業すると推計されており、有効求人倍率0.53倍(08年12月)の雇用失業情勢は一段と悪化することが予想される。

 一方、県の農業事情は、就業人口が全国2位、農業産出額が同12位と、県内はもとより首都圏の「食」も支える農業県である。ただ就業者数の実に6割強が65歳以上で、担い手確保が喫緊の課題となっている。そのため県農業振興担当者は「相談会が新規就農に繋がれば」と期待を膨らませた。

 しかし、いざ蓋を開けてみると当日参加した農業法人は9法人、職業紹介に来たJAはたったの2組合。法人の半分はパート、事務職、さらには運転手といった募集で、生産管理に携わる正社員の枠は合計10人にも満たない状況である。相談に訪れた参加者も6時間で40人に届かなかった。

 地元テレビや新聞記者に取り囲まれた参加者の周辺を除けば、終始ほのぼのとした時間が会場には流れており、喧伝される〝農業ブーム〟が幻想であることがよくわかる。

 夕方、ある相談員から「もっと告知の仕方があったのでは」と主催者に対するぼやき声も聞こえたが、いやいや、そんな手法論の問題ではないだろう。人手不足にもかかわらず正社員を受け入れられないという農業の構造的問題が浮き彫りになったことに目を向けるべきである。

不安定な事業環境で新規採用は難しい

空席が目立つ就農相談会。“農業ブーム"は幻想に過ぎない。

 では、正社員を募集することができた事業者の声を聞いてみよう。約900頭の肉用牛で伸ちゃん牧場(田村郡小野町)を営む長谷川栄伸社長は「新牧場展開の計画もあり、将来の会社を支える人材がいれば」と2人を募集する。全国で肉用牛を育成・肥育する畜産農家は約8万戸(08年2月現在)あるが、そのうち200頭以上を抱える大規模農家はほんの3%に過ぎない。伸ちゃん牧場は社員5人で運営しており、日本の畜産業界が目指す、大規模・効率経営を実践する模範的な事業者だといえる。ただそんな優良事業者であっても、効率経営を重視するため、余剰人員に繋がるような大量採用はできないのが実情だ。

 そもそも多くの畜産農家は、厳しい経営環境に置かれており新規採用どころの話ではない。というのも、肥育牛や養豚、養鶏といった畜産経営は、飼料費の割合が生産コストの約3~7割を占めており、昨今の飼料価格の上昇が経営を大きく圧迫している。また生産コスト上昇分が畜産物価格に十分に転嫁されておらず、牛肉にいたっては下落している状況だ。07年2月からの1年間で、実に3380戸の畜産農家が廃業しており、飼料価格が上昇し続けた昨年は、更なる規模の農家が廃業したとみられている。

 「時代や制度のせいにしてはダメ」と経営者魂を見せる長谷川社長も「従業員とその家族を守る責任がある」と次世代の担い手確保よりも、当面の事業環境の動向が心配でならない様子である。

 一方、隣のテーブルでは、アイガモ農法で無農薬米などを5人で生産・販売する、すとう農産(会津若松市)の須藤久孝社長が「5年以内の独立」を条件に正社員1人を募集する。手間隙かかる有機農法は、人手を1人増やしたところで農地を拡大できない。そのため収入の天井も決まってくるため「自分で食い扶持を見つけようとする人間でないと受け入れられない」(須藤社長)という訳だ。

 有機米は需要があり高値で取引されているが、やはり気掛かりなのはコメ業界の動向である。目下、生産調整(減反)の見直し議論や、またWTO(世界貿易機関)農業交渉次第では関税の引き下げの可能性も出てきている。コメ政策が転換すれば米価は半値近くに下落するとも言われている。「『食の安全』が見直されており、相応の相場が形成されるだろう」と須藤社長は有機米で必死に活路を見出そうとしている。

農家退出を促し市場縮小に対応せよ

 こうした厳しい事業環境ではあるが、新規就農者は約7万3000人(07年)にも達する。ただその半数が60歳以上で、農家世帯員が退職後に農業を始めるパターンがほとんどである。また土地や資金を独自に一から調達して農業を始める者も約2%に過ぎない。それもそのはず、全国新規就農相談センターによると、就農1年目にかかる平均費用は、水稲が約690万円、露地野菜で約470万円に対し、平均売上高は水稲・露地栽培がともに約230万円と、5年以上経過しても事業を軌道に乗せることは難しいからだ。

 こうした事情からか、農林水産省が17億円を投じて行う就農支援事業で中心的役回りを期待されているのが農業法人である。農業法人は近年着実に増加しており、08年で約1万500法人を数える。法人の規模は家族的経営から数百人の社員を抱えるものまで様々だが、「優良事業者は決して多くはないが、高い生産技術と販売力があれば規模にかかわらず収益性は確保できる」(紺野和成・日本農業法人協会専務理事)という。

 支援事業は就農希望者を研修生として受け入れた農業法人や農家に対し、最大で月9・7万円の研修費を1年間支援するというもの。研修生1000人を対象としているが、業界内からは「有効に活用する」と歓迎する声に混じり「受け入れられる事業者がそんなにあるのか」「短期的支援で就農まで行き着くか疑わしい」といった声も聞こえてくる。

 さらに、神門善久・明治学院大学教授は「農産物貿易自由化など、農業の前途は厳しい。国際競争力のない農業者が農業生産から離脱を迫られるのは時間の問題だ。いま不用意な就農支援をすれば、将来の失業予備軍を増やすだけだ」と長期的視点を欠いた政策に警鐘を鳴らす。

 確かに、補助金をつけて無理やり雇用を創出しても、就農後に生計が成り立たなければ、またそこに補助金をつぎ込むといった、いつか来た道をまた辿ることになりそうだ。零細農家まで一律に保護する政策をいい加減に改めて、優良な事業者にこそ限られた補助金や農地などの経営資源が行きわたるような市場環境の整備に注力するべきであろう。もっとも、転換すべきは政府だけでなく、その政府に保護されてきた事業者も同じである。

 「農業を事業として成立させるには、技術や理念だけでなく、労働生産性や人材育成などのマネジメント力が欠かせない」

 こう言及するのは、02年から農業事業に参入した居酒屋チェーン大手・ワタミの渡邉美樹社長。「やっと黒字化できそう」と参入7年目にして噛み締める言葉に、農業経営の難しさがにじみ出ているが、「いずれグループの核になる」と断言する背景には、農業にビジネスとしての可能性があるということだ。

 今回、多くの業界関係者の口から「政策次第」という言葉が発せられた。生活の根源にかかわる農業の運命は、まさに政治家や行政担当者に託されている。農地集積、耕作放棄地、関税引き下げ等、待ったなしの懸案事項を抱えているが、過去に囚われず、大胆に政策転換を急ぐべきだ。


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