「ロッテはおれに何か恨みでもあるんか」
振り返れば、ロッテは昔から、誰もが想像だにしない場面でこそ、強烈な存在感を発揮するチームだった。その最たる事例が、私がこの仕事を始めた1988年10月19日、近鉄の逆転優勝を寸前で阻んだ一戦、球史に語り継がれる「10・19」だ。当時のロッテ本拠地・川崎球場での公式戦最終戦。近鉄がロッテに勝てば勝率で首位・西武を上回り、優勝していたはずだったが、試合終盤にロッテ・高沢秀昭の同点本塁打が飛び出してまさかの引き分け。近鉄ナインに悔し涙を流させた。
まだ衛星放送の普及していないこの時代、テレビ朝日は看板報道番組〈ニュースステーション〉の枠を吹っ飛ばしてまで「10・19」の緊急生中継に踏み切った。おかげで、ロッテは〝球界一の悪役〟になったのだ。
1995年に優勝したオリックスの本拠地胴上げを阻止した〝粘り腰〟も大変印象深い。1月に阪神・淡路大震災が起こったこの年、被災地の球団オリックスは「がんばろうKOBE」を合い言葉に首位を独走。9月15~17日、当時の本拠地・グリーンスタジアム神戸(現ほっともっと神戸)でのロッテ3連戦で優勝を決められるところまでこぎつけた。だが、ボビー・バレンタイン監督が伊良部秀輝、小宮山悟、エリック・ヒルマンの先発3本柱をぶつけて3連勝。地元のファンが胴上げを目撃するシーズン最後のチャンスを奪った。
ちなみに、ロッテの〝嫌がらせ〟にホゾをかんだ88年近鉄、95年オリックスの監督はどちらも故・仰木彬さんだった。「ロッテはおれに何か恨みでもあるんか」とぼやいていた名将の顔が懐かしく思い出される。
2010年には、パ・リーグ3位からCSの2ステージを勝ち抜き、日本シリーズも制して日本一を達成。CSの是非が改めて論議の的となり、世間では「下克上」が流行語になった。そんな何かとヒンシュクを買うところに、ロッテの存在価値はある。ペナントレースはまだ序盤、今後の巻き返しに期待したい。
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