第17章 産業の推進力
産業革命により、人類の生産性は爆発的に向上した。今まで使えなかったエネルギーや原材料が次々と使えるようになったからである。
石炭、石油、原子力、等々が使えるようになりましたからね。その石油も、「石油はあと30年で枯渇する」と言われ始めてから、50年は経つと思いますが……(笑)。技術進歩で今まで掘れなかったシェールオイルが掘れるようになったりしていますから。
利益は浪費せずに投資せよ、という資本主義の価値体系と消費主義の価値体系は、「金持ちは投資し、庶民は浪費する」ことで折り合いをつけた。
これは疑問ですね。庶民の貯金が銀行等を通じて設備投資に廻るのが理想でしょう。日本では、企業が設備投資をしていませんが、これは金が無いからではなく、需要が無いからです。困ったものです。
第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
福祉、医療、教育、等々の機能は家族やコミュニティから国家に移った。
たしかに、江戸時代の「御上」は、年貢を取り立てる以外、何もしてくれなかったはずですから、自助と共助が基本で、公助は例外だったのでしょうね。共同体が助け合わないと、暮らして行けない時代だったのでしょう。人々は、共同体という面倒なしがらみから解放された一方で、孤独に悩む事になったわけですね。どちらが好きかは、人それぞれでしょうが。
第二次大戦後の世界は平和である。
暴力の減少は、国家の台頭のおかげである。
戦争の減少は、核兵器による抑止力による所が大きい。農地や地下資源の相対的重要性が低下し、他国に攻め込むインセンティブが低下した面も大きい。
たしかに、部族間の殺戮等々が繰り返されていた時代と比べると、国家権力が強大になった現代の方が、国内の治安は良いでしょうね。国際的には、核の抑止力が働いていますが、これは評価が難しいでしょう。「何らかの拍子に人類が滅亡するリスク」と背中合わせの平和ですから。
他国に攻め込むインセンティブが低下した、というのは、興味深いですね。
他国が日本に攻め込んで占領したとしても、得るものは尖閣諸島近海の石油資源くらいだということですね(笑)。もっとも、中国が日本を占領すれば、在日米軍基地が消え、太平洋に自由に出入りできるようになるので、インセンティブが小さいと考えるのは危険かもしれませんね。
第19章 文明は人間を幸せにしたのか
進歩は幸せにつながるとは限らない。農業革命は農民を幸せにはしなかった。欧州諸帝国の拡大は、多くの非征服地域の人々には災難であったであろう。
それはそうでしょうが、医学の進歩で幼児死亡率が下がったり、良いことも数多くあるので、やはり進歩で幸せになったと思いたいですね。なお、本章の後半では、幸福は主観的なものであるから……といった議論が展開されていますが、省略します。
第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ
科学技術の進歩により、「知性により生命を設計する」という可能性が出てきた。遺伝子工学で天才人間を作り出す事も、出来るかもしれない。更には、脳のバックアップをコンピューターに保存する事が出来るようになるかもしれない。それは人なのだろうか?
生命が設計出来るなら、「望ましい生命」を定義する必要があります。これは宗教的にも難しいでしょうし、「時の権力者に都合の良い設計」を許さないような制度設計が必要でしょうし、難問ですね。でも、答えが必要になるまで、それほど時間は残されていないようです。議論を急がないと! もしかすると、人類が創りだした「超人間」が人類より優れていて、人類を見下す(滅ぼす?)ようなことも、あり得るかも知れませんね。私が生きている間に起きないことを祈るばかりです。
さて、冒頭にも記しましたが、本書の特徴は、著者の柔軟な発想があふれ出ていて、読者を圧倒していることです。もっとも、「柔軟な発想が素晴らしい」と感動することはあっても、真似することは無理なレベルですが。それでは、本書を読む意味は何でしょうか?
世界史を学ぶことは、年号を暗記することではなく、現在の我々がどのように形作られて来たのかを学ぶことです。「今の我々が当然だと思っている事柄の多くは、数百年前には全く当然ではなかったのであって、数百年後、いや数十年後にも当然ではなくなっているのだろう」と考える契機を与えられることです。
そうした契機の素は、本書の至る所に散りばめられています。それを自分なりに消化して我が身の将来、人類の将来を考えるのは、チャレンジングですが、ワクワクしますね。と言いながら、評者自身も大部分は未消化なのですが(笑)。
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