2024年7月17日(水)

ACADEMIC ANIMAL 知的探求者たち

2010年8月20日

 文字は非常に能率が悪い。文字を書くのは、話すことに比べると5倍くらいよけいに時間がかかります。だから、我々はみんな文字を書けるのに、こうやって会ったときには文字で書かずに音声で話をするわけですね。そのほうが能率がいい。能率の点では、文字は音声に全然かないません。

●確かに、話を録音しておいて後から文字にするのは大変です。

——そんな文字でも、音声がまねできない長所があるわけですね。文字のいいところは消えないことです。音声はその場で言った先から消えてしまいます。また、音声の場合は、音声の発信者と同じ場所に受信する人がいないと伝達できませんが、文字の場合は時間や空間を越えて伝達ができる。後で読むことも、持ち運んで遠くで読むこともできます。

マンガのコマ進行とセリフの書字方向には密接な関係があるが、当初は形式が定まらずに混乱が見られた。1923年4月1日から日刊「アサヒグラフ」に連載されたジョージ・マクマナスの「親爺教育」は、連載第1回目(上)と連載第3回目(下)で、書字方向に違いがある。

 順序性は言語の基本的な性質だったわけですね。音声の場合は受け身で聞いていればそのまま順序をもって聞こえてきますが、文字の場合は書かれたものは消えずにそのまま残っていっぺんに目に入ってきますからそのままでは順序が分からない。読む人のほうが順序性をつけてスキャンしないと言語として成り立たない。このスキャンする方向が書字方向ですから、書字方向は音声言語にとっては必要なくても、文字言語にとってはぜひともないといけないものなんです。

 書字方向は文字にとって大事なだけではありません。実はいろいろな場面にからんでくる問題です。文字を読むときは、空間的な配置を時間的な順序に変換していることになります。つまり、書字方向というのは、時間を空間に変換する装置だといえるわけです。

 空間的な配置と時間的な順序の変換といえば、文字と言語のほかにもこの関係はあてはまります。たとえば、楽譜と音楽、マンガとマンガで描かれているドラマ、絵巻物とそこで描かれるストーリー……(※右図参照)。そういうものの中で一番古いのは、文字と言語の関係。書字方向をひな形にしてそういうものが成り立っていると考えられます。

 日本の絵巻物は右から左に進行しますが、西洋で絵巻物にあたるものは左から右に進みます。日本の屏風絵で四季が描かれているものは右から春夏秋冬の順序。ヨーロッパの同趣向の絵では左から。美術の展覧会でも、日本の絵を展示するときは、順路を右からにします。ヨーロッパの絵を展示するときは逆に左から。日本の双六は右から左に進行しますが、西洋の双六にあたるグースゲームでは左から右に進行します。

●そんなところにも書字方向が関係していたとは驚きです。

——マンガも重要な存在です。日本のマンガのコマ進行は、右から左ですね。これは、縦書きで行が左へ移ってゆくという、使い慣れてきた書字方向に合わせているわけです。でも、アメリカのマンガは左から右。左横書き(注:左から右に書く横書きのこと)で行が下へ移ってゆくことの影響です。


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