翌朝、早く目が覚めたので湯本の町を歩いてみた。常磐線湯本駅の駅前には足湯があって、すでに早朝から地元の人が足を浸していた。湯本には野口雨情が滞在していた時期があり、雨情が女将とおしゃべりするために通った温泉旅館の「新つた」はいまでも健在である。
湯本は千年以上の歴史を持つ古泉であり、江戸時代には浜街道唯一の温泉宿場町として栄え、明治時代に常磐線が開通すると一般の観光客でにぎわったそうだ。一方で、豊富な温泉の湧出は、湯本に近い常磐炭鉱の構内を高温にして、、鉱夫たちを悩ませた。その様子は、湯本駅に近い「いわき石炭・化石館」の展示で知ることがでる。
石炭・化石館の展示には、正直言ってあまり期待していなかったのだが、かなりの見ごたえがあった。高校生の鈴木直さんによっていわきで発見されたフタバスズキリュウの化石もさることながら、炭鉱の坑道の変遷がわかる展示は圧巻だった。炭鉱に対するいわきの人々の情念を感じさせられる内容である。
湯本には「温泉神社」という変わった名前の神社もあって、鳥居の横に温泉が引いてあったりする。コンビニの店員もホテルのフロントマンもアロハを着ているのは、映画『フラガール』やスパリゾートハワイアンズ(旧・常磐ハワイアンセンター)の人気にあやかってのことだろう。
実際、湯本の温泉旅館の女将たちは「フラ女将」というグループを結成して、「いわき湯本温泉 フラの町宣言」を行い、さまざまイベントを通して「フラの文化との融合による町づくり」を行っているという。
湯本の駅前には「みゆきの湯」、少し歩くと「さはこの湯」があって、東京の銭湯よりも安い値段で温泉の異なるふたつの温泉に入ることもできる。
午前8時、古滝屋のハワイアンの流れるロビーで編集者と待ち合わせて、軽食をとる。ハワイアンには人の心をのんびりさせる力があることを実感する。車に乗り、まずは猪狩さんの実家がある上遠野を目指す。湯本は平たんな温泉街だが、ここからわずか30分ほどで中山間部の上遠野に着くと猪狩さんは言っていた。
日本の原風景で出会った有機栽培農家
古滝屋の目の前を走る県道14号線を走り出す、快晴に恵まれて窓を開けた爽快なドライブを楽しむことわずか30分。本当に上遠野に着いてしまった。上遠野も十分に美しい里山である。猪狩さんの実家でやたらにおいしいコーヒーをご馳走になり、いよいよ入遠野を目指すことになった。
10分ほど走ったところで、「私が日本の原風景と言っているのは、この先の辺りからです」と猪狩さんが言う。ゆるやかな登坂道を上り切ると、パっと視界が開けた。
前景に田植えを終えたばかりの鏡のような水田が広がり、その奥に墨色の瓦を乗せた農家の屋根がいくつか見える。その背後には、なだらかな山の尾根が層をなして連なっている。ほっと溜息がもれるような、まさに「日本の原風景」である。
入遠野には平家の落人伝説があり、平子という姓が多いそうだ。「ひらこ」と読む人もいるが、「たいらこ」と読む人もいる。東山、西山、有実、四条内などという地名が残っていて、村社はなんと八坂神社といい境内には樹齢1200年をこえる二本の杉が聳えている。京都との縁を感じないわけにはいかない。
猪狩さんの紹介で、入遠野で長年に渡って有機農法を実践してきた佐藤□行さんの話を聞けることになった。もとは隠れ家的な料亭だったという佐藤さんの自宅は小高い丘の上にであり、入遠野の風景を一望することができる。住所は「入遠野天王」である。
佐藤さんは昭和21年の生まれで、70歳になる。佐藤家は代々農家で、佐藤さんが子供の頃は祖父母と両親と一緒に3代で農作業をやっていた。子供も重要な労働力だったのだ。佐藤さんは声が大きく、快活にしゃべる人物だ。シフォンケーキを焼くのが天才的にうまく、インタビュー中にごちそうになったが、甘すぎず、生地がしっとりと柔らかくて本当においしかった。
「草取りとか、牛の餌やりとか、昔はタバコもやっていたんでタバコの葉のしとか子供の頃からやらされて、農業が大嫌いだったね。有機農法をやるきっかけになったのは、有吉佐和子さんの『複合汚染』を読んでから。結婚して41年になるけど、結婚前から無農薬の米作りに取り組んで、最初の頃は3本まとめて植えた苗がぜんぜん分けつしないで、3本のままだったりしたな。この人(妻の登志子さん)はずっとこういう農業やるの? ってびっくりしたみたいだよ」
当時は農薬を使うのが当たり前の時代で、農家は何の疑いも持たず田畑に大量の農薬を散布していたが、農薬と化学肥料による環境の汚染を描いた『複合汚染』を読んで佐藤さんは衝撃を受けたという。
「合鴨使ったり、米ぬか除草を試したりね、いろんなことをやったけれど、正直言って、田んぼの完全無農薬は無理だし、有機だけじゃできないね。うちは化学肥料を少しと除草剤も少し使っています。除草剤を使わなかったら、草取りだけで他のこと何もできないもん。ちょこっと有機肥料入れただけでエコとか言ってる農家は、みんな偽物。ボクの有機農法は、米ではまだ完成していないんですよ」
では、畑で作る野菜はどうかというと、こちらは有機農法が完成しているという。佐藤さんは自信に満ちた声で、農薬は一切使っていないと断言する。
「野菜の肥料はほとんど買わない。ほぼ自前で作ってます。米ぬか、魚粉、燻炭、鶏糞を使います。鶏糞なんて買えば安いんだけど、売ってる鶏糞は抗生剤入りの餌を食べた鶏の糞だから、これを使ったら有機にならないでしょう。だから自分で200羽ぐらい鶏を飼って、自分の家の鶏糞を使ってる。200羽飼うのは大変だよ」
肥料の中で佐藤さんが最も重視しているのは燻炭。もみ殻を蒸し焼きにして炭化させたものだ。この燻炭を自前で1000袋も作って畑にすき込む。そうすると土が軽く、柔らかになって作物の根が伸び伸びできるのだという。
震災の後、この燻炭を焼く火が飛び火して、自宅が全焼するという憂き目に遭ったが、佐藤さんはその後も燻炭づくりをやめなかった。佐藤さんの有機農法の要だからである。
作目は三種の神器である、玉ねぎ、にんじん、ジャガイモの他にズッキーニ、インゲン、サニーレタス、キュウリ、トマト、キャベツ、白菜などを作る。葉物野菜には「やめてくれーと叫びたくなるほど」虫がつくが、殺虫剤を使わずにネットをかけ、燻炭を作るときに出る木酢液で退治している。
「うちのサニーレタスなんて、なんでこんなに美味しいのって言われるぐらい美味しいし、魚粉を入れると野菜がみんな甘くなるんだよね」
佐藤さんも、前出のAさん同様、知人、友人、親戚にしか販売していない。震災前は36家庭と契約していたが、震災後は13家庭に減少。野菜の宅配業者との大口取引もあったが、震災後の風評被害で福島産が扱えなくなったことを理由に契約を切られてしまった。結果、年間の収入は10分の1に激減した。そこに燻炭を火元とする火自宅の災が起きて、佐藤さんはまさに泣きっ面に蜂の状態だった。
だが、捨てる神に拾う神ではないが、震災の前年から少しずつ農業を手伝うようになっていた次男が、わざわざ勤めていた会社を辞めて、本格的に農業をやるようになり、フレンチやイタリアンで使う洋食系の野菜の栽培に乗り出して顧客を拡大してくれるようになった。いまでは、10数軒のレストランと契約を結び、一般家庭との契約も50軒以上に拡大しているという。
「うちは子供が5人いるんだけど、盆とか正月に集まる度に、農業って面白いんだよなー、会社に勤めて一生歯車で終わるよりずっといいよなーって言い続けてたの(笑)。そうしたらある日次男が、お父さん人生はお金じゃないからって、会社やめちゃったんだよ(笑)」
佐藤さんは風評被害をどのように受け止めているのだろうか。
「いま、たくさんの人がうちの野菜を買ってくれているのは、1番は美味しいから、2番目は顔が見えるからでしょう。家族が交替で、車で宅配してるからね。昔から四里四方の物を食べるのがいいと言うけれど、まずは身近な人の信頼を得られないとダメだよね。いわきの人は放射能のことをよく分かってるし、福島民報に毎日各地の線量が出るからどこの線量が高いかよく知ってる。だから、佐藤の野菜は大丈夫だって分かってくれるんです。でも、東京の人は福島産と他の県の野菜が並んでたら、どうしたって他の県のを買うでしょう。それが人間心理だよね。東京の人は「佐藤の野菜」じゃなくて、「福島の野菜」だって思うからさ。福島って名前じゃダメだよね」