2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年10月1日

 その後毛沢東時代の中国は、帝国主義(とくに日本)が綿密な調査とともに自国を蹂躙したことへの深いトラウマ、自国経済からの資本主義国・企業の原則排除、ソ連から学んだプロパガンダ手法に即して、外国人に対して固く門戸を閉ざした。この時代に中国を訪れることが出来たのは所謂「友好人士」「友好商社」関係者のみであり、彼らは「子供が乗っても倒れない稲穂」「人海戦術で蠅や鼠がいなくなった清潔な街」「革命的な人民の麗しい助け合い」といったおよそ現実離れしたショーウインドーを一瞥したのみで「社会主義の優越」を宣伝した。中国は勿論、「悪い平等」による圧倒的貧困の中でこのような虚像を保ちきれなかったし、中国の宣伝を真に受けたほとんどの社会主義者たちは裏切られて政治的挫折・無気力に陥ったのである(全共闘崩壊後の「団塊の世代」はその典型であろう)。

ナショナリズムの利益を守るために
行われた改革・開放

 改革・開放約30年の歩みは、中国自身が現実を直視して外国の優れた点を取り入れ、自らを国際社会・経済と深く結びつけることによって、中国ナショナリズム最大の目標である「富強」を実現させようとしたものである。とくに鄧小平は、外資を自らの主導のもとで取り入れて中国経済に貢献させ、技術・ノウハウを中国にもたらすようにさせれば、それで十分中国の面子は保たれるのであり、むしろそれは大胆であればあるほど良いと説いた(とくに1992年の「南巡講話」)。

 こうした流れの結果、70年代末にはごく僅かだった外国人訪問可能都市・行政区画(以下、対外開放都市と記す)が、時代を下るにつれて激増した。今や主要都市は勿論のこと、相当交通不便な山岳部・草原・砂漠の県ですら数多く対外開放都市に指定されているため、これらの都市のあいだを様々な交通手段で自由に旅行し(その気になれば自転車・徒歩旅行も問題なく可能)、就労ビザがあれば営利活動に従事し、あるいは開発区に投資して工場を設けることが可能である。そして、大都市に林立する富の象徴である超高層ビルを見て、外国人は誰もが「未来に開かれた夢の国」に迷い込んだかのような印象を得て、自国と同じように関連法規に則って自由に営業・調査活動できると思うとしても全く不思議ではない。現に、余程のことがない限りそれは可能なのである。

拘束された日本人社員に
非はあったのか

 しかしあくまで中国は、ナショナリズムの利益を守るために改革・開放を行ってきたのであり、その根幹に直結する部分、すなわち軍の利益や希少資源を守るという側面においては、歴史的に形成された外国人に対する警戒心を全く緩めていない。もちろん、その度合いは他の多くの国々と同じく、国内外の緊張の推移によって容易に変わる。


新着記事

»もっと見る