今回は、都内下町・浅草のかっぱ橋通りで3代続く料理道具販売店・藤田道具株式会社社長の藤田雅博さんを取材した。30歳のとき、2代目の父の後を継いで店を引き継いだ。
業務用の料理道具や外食店の厨房などを販売するビジネスモデルは維持しつつも、ネットを使い、新たな販売ルートを構築し、店を発展させようとする。社員をチームとしてまとめることにも奮闘している。
藤田社長にとって、「使えない上司・使えない部下」とは…。
今の時代は、親父のやり方ではヤバイと思う
親父は、「使えない上司」だったのかもしれませんね。あれほどに厳しいと、今の時代は店の経営はできないと思います。社員が、みんな辞めていきますよ。
僕は、2代目社長であった親父の後を継いで藤田道具を経営しているのですが、11年前までは親父のもとで経営見習いのような形で働いていたのです。親父は戦争に行っていたくらいだから、古い人でした。ものすごく頑固で、仕事熱心。死ぬ寸前まで働き続けていました。1年で休むのは、わずか数日。社員たちにも厳しかった。頻繁に叱ったり、怒鳴ったりしていました。
僕は、18歳で働き始めた。親父は、息子だからといって甘やかすなんてありえない。仕事の結果を出さないと、絶対に認めない。20代の頃で、僕も血気盛んだった。結果を出して、なんとか見返してやりたいと思っていた。さんざんけなされるから、それこそ倍返しですよ。
僕を育てようと思っていたのかな。叩き込む感じでした。親父は、亡くなる5年前に首の骨を折ったのです。「俺は、先が長くない。急いで経営のことを覚えろ」と言っていた。経理を勉強し始めたのですが、親父はずっといるもんだと思っていました。まさか、あのままいなくなるなんて…。
僕の同世代の知り合いに、かっぱ橋通りなどで店を経営している人がいます。彼らも父親の後を継いでいるのです。まだ、お父さんがお元気なんですね。父と息子で仕事をしている姿を見かけると、いいなあと思う。僕も、親父と一緒にもっと働きたかった。経営のことを相談したいときがありますから。
だけど、今の時代は、親父のやり方ではヤバイと思う。最悪な状態になりかねない。ブレーキがきかない人でした。それでも、店を守り、ついには自社ビルを建てたから、経営者としてはすごいのでしょうね。
社員を怒鳴りちらしていた親父をうらやましい、と思うときは時々、あります。今は、社員を感情に任せて叱ると、そのたった一言で、上司と部下の関係が崩れてしまいかねない。社長だから、と威張る時代ではないのです。
僕は、あの頃に親父から厳しく言われた言葉が心に長く残りました。あのくやしい思いは、今の社員には味わわせたくない。社員は、大切ですからね。みんなが、「使える部下」ですよ。そう思うようにしています。だから、言いたいことがあっても、ぐっとこらえるようにしています。そりゃあ、ストレスですよ。ためないようにはしているのですが…。