展覧会の企画趣旨を、国立新美術館の学芸課長である南雄介氏に聞いた。「ポンピドゥの監修者と話し合い、構成はシュルレアリスムの前史から終りまでの時代を追う、総合的運動のプレゼンテーションを目指しました。これまでのシュルレアリスムの展覧会は1945年までのものが多いですが、今回は1924年のブルトンによる『シュルレアリスム第一宣言』から、1966年のブルトンの死までを追いました」。
会場入口には1937年にアンドレ・ブルトンが開いたグラディヴァ画廊のためにマルセル・
デュシャンがデザインした扉が再現され、通路には映る自分の奥底が見えてくるような合わせ鏡が備え付けられている。広い場内は「Ⅰ ダダからシュルレアリスムへ」~「Ⅴ 最後のきらめき」という時代を追った大きな括りで区切られている。絵画や写真、立体は勿論、シュルレアリスムの詩や理論を掲載した当時の雑誌がガラスケースに入って置かれ、ところどころの壁面には大きく映画が投影されている。
南氏が展覧会のみどころを語ってくれた。「まずは時代時代の展開の分りやすさと創造的な広がりです。次に、シュルレアリスムの固定されたイメージに留まらない様々な側面。それは日本ではあまり知られていないヴィクトル・ブローネルやアンドレ・マッソンの紹介も含まれています。そして幻想的なイメージの世界。それはSFのようでもあり、アニメやゲームに登場するキャラクターといった現代の大衆文化にも登場します。マグリットは画家であると同時にデザイナーでもありました。マグリットの広告の手段は、現在でも使われています。20 世紀の文化の隅々に行き渡る、多大な影響を与えた力を再発見していただきたいのです」。
マッソンの影響力
確かに日本ではダリやマグリットは知られているが、ピカソが高く評価したマッソンが紹介されることは少ない。マッソンは第一次世界大戦中に従軍し、負傷した経験から「殺戮」をテーマとする。この自己の無意識を探る為にブルトンがシュルレアリスムの方法論として確立以前から、オートマティスムによる素描を行っている。シュルレアリスム運動に参加するが一時期離れ、民俗学や人類学に接近する。ギリシャ神話から着想を得て人間個々の本能的な姿を描く《バッカナーレ》(1933年)、古代から続くカマキリの伝承を主題にした《夏の愉しみ》(1934年)、闘牛が持つ否応なしの残虐性を描いた《吹き出でる血》(1936年)などがその成果だ。マッソンは30年代後半に再びシュルレアリスムに接近し、これまで培ってきた人類の根底を探る社会学の方法論と従来から持つ個人の存在を明らかにするオートマティスムを融合し、抽象とも具象ともいえない《巫女》(1943年)を描く。その後の完全に抽象的な作品は、後のアメリカの抽象表現主義や、ヨーロッパのアンフォルメルに多大な影響を及ぼすのだ。シュルレアリスムに参加していれば、シュルレアリストということではない。マッソンの生き方や制作方法ほど、シュルレアリスティックなものはないということも出来る。