そして、富士山の手前に広がるのは武家屋敷です(⑤)。この時期、武家では虫干しを兼ねて、ほとんど使ったことのない甲冑(かっちゅう)を飾り、武運長久を祈りました。男の子の誕生祝い、また厄除けを願って家紋や鍾馗様(しょうきさま)を描いた幟旗(のぼりばた)、吹き流しを立て、端午の節句を祝ったのです。鍾馗様とは、中国から伝わった神様。唐の玄宗皇帝が瘧(おこり=マラリア)にかかったとき、夢に鍾馗様が現れ、目覚めると病気が治っていたという伝説があり、信仰されていました。立派な武家飾りを見下ろす位置で、特大の鯉のぼりが風をはらんでいます。
お江戸の初期は、武家にしかこのような幟や吹き流しは許されなかったといわれます。「幟がダメなら、鯉のぼり」「江戸っ子の心意気、どんなもんだい!!」と言わんばかり、広重さんは庶民の気持ちを誇張するかのように巨大な鯉のぼりを画面一杯に描きました。もっとも広重さんも元は武家の出身、それでいながら庶民感覚も楽しんでいたのでしょう。
鯉のぼりの鱗をよくよく見ると、ものすごい技術が秘されています。お江戸の職人、彫り師さんと摺り師さんの名人芸「毛彫り※」が施された、チーム広重の逸品です(⑥)。目玉の周りに淡く紅色を引いたのは、子供の健やかな成長を願う親心に応え、活力を強調したようにも思えます(⑦)。
「江戸っ子は、5月の風の吹き流し」、おなかの中には何もない。さらに懐も「宵越しの金は持たねぇ」とばかりに風がスースーさっぱりと。お江戸の方は、本当の幸せをご存じだったのでしょう。
*頭髪などを表現するため、彫り師が1ミリの幅に3、4本もの微細な線を凸形に彫り残し、摺り師がその版木を潰さずに摺る技法
【牧野健太郎】ボストン美術館と共同制作した浮世絵デジタル化プロジェクト(特別協賛/第一興商)の日本側責任者。公益社団法人日本ユネスコ協会連盟評議委員・NHKプロモーション プロデューサー、東横イン 文化担当役員。浅草「アミューズミュージアム」にてお江戸にタイムスリップするような「浮世絵ナイト」が好評。
【近藤俊子】編集者。元婦人画報社にて男性ファッション誌『メンズクラブ』、女性誌『婦人画報』の編集に携わる。現在は、雑誌、単行本、PRリリースなどにおいて、主にライフスタイル、カルチャーの分野に関わる。
米国の大富豪スポルディング兄弟は、1921年にボストン美術館に約6,500点の浮世絵コレクションを寄贈した。「脆弱で繊細な色彩」を守るため、「一般公開をしない」という条件の下、約1世紀もの間、展示はもちろん、ほとんど人目に触れることも、美術館外に出ることもなく保存。色調の鮮やかさが今も保たれ、「浮世絵の正倉院」ともいわれている。
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