もし裁判所が、宗教右派が言うように言論・表現の自由の問題としてこの問題を構成するならば、花やリネンを届けたり、結婚式場を貸したりするなどの財やサービスの提供も、言論・表現の自由の対象となるのかなど、様々な問題に発展する可能性がある。そうであるが故に、この事件は一層の注目を集めていた。
だが、この判決は、多くの人にとって肩透かしに終わった。この問題を言論・表現の自由の問題としてとらえるか否か、信仰の自由や言論・表現の自由は同性カップルの権利を制約する要因として認められるかという多くの人が注目した論点は扱われなかった。そうではなく、コロラド州公民権委員会がケーキ職人に意見を述べる公正な環境を保障しなかったことを根拠として、ケーキ職人の勝訴が宣言されたのである。
中道派判事が下した判断は?
日本の裁判所は、政治的に対立のある問題が訴訟で提起された際には、国会が対応すべき問題だとして判断を回避する傾向がある。それに対し、アメリカの裁判所は、積極的に政治的判断を行っている。日本の裁判所が、政治的争いから距離をとり、中立の立場から正義を実現する機関だと一般に考えられているのとは対照的である。
連邦の裁判所の判事は、大統領が指名し、連邦議会上院の過半数の承認を経て任命される。今日では、判事の多くが政治的立場を明確にしているといわれている。連邦最高裁判所の判事は、現在、リベラル派4人、保守派4人、中道派1人の合計9人で構成されている。一般に、リベラル派は同性愛者の立場を擁護し、保守派は信仰問題を重視する傾向がある。
そこで、この問題については、キャスティング・ヴォートを握っている中道派のアンソニー・ケネディ判事の判断に注目が集まっていた。ケネディは、信仰を重視する判事として知られると同時に、2015年のオバーゲッフェル事件で同性婚を認める判決文を執筆したことに見られるように、同性愛者の権利を擁護する判決を出してきた人物でもあるからだ。
ケネディは、この事件でも判決文を執筆した。だが、ケネディは、両方の価値をどう調整するかという判断を避け、コロラド州公民権委員会の対応を問題にした。コロラド州公民権委員会の一部の委員は、コロラド州のビジネス・コミュニティでは信仰上の信念はあまり歓迎されないと仄めかし、この州で営業したければ妥協すべきだとフィリップスに述べたとされている。また、別の委員は、歴史上、信仰の自由は、奴隷制やホロコーストを含む、あらゆる種類の差別を正当化するために用いられてきたとフィリップスに述べたとされている。ケネディは、これらのコメントは宗教に対する敵意の表れだと判断した。コロラド州公民権委員会がこのような状況では、ケーキ職人は信仰の自由を十分に行使できる環境下になかったとして、ケネディは、ケーキ職人勝訴、コロラド州公民権委員会敗訴と結論付けたのである。
この判決は、同性愛者の権利と信仰の自由という重要な問題についての一般的命題を出す可能性があると考えられていた。にもかかわらず、最終的には、この事例にのみ当てはまるといってもよいような、適用範囲の限定された判決が下されたのである。