日本一美味いと評価されることもある豊橋駅の稲荷寿しは、
明治末期に登場した全国最古級の稲荷寿司駅弁でもある。
稲荷寿司発祥の地とされる豊川稲荷への乗換駅で古くから親しまれる
安くてシンプルでボリュームのあるツヤツヤなおいなりさん。
愛知県の豊川稲荷は稲荷寿司の発祥地とされる。異説はある。
東の伊東、西の豊橋
そして、豊川の隣町であり、江戸時代には東海道の吉田宿が置かれた現在の愛知県豊橋市で1888(明治21)年に開業した豊橋駅では、明治時代から稲荷寿司が駅弁として販売されている。稲荷寿司駅弁の発祥地を豊橋とする資料もある。
現在は、稲荷寿司の駅弁など東海道本線の主要駅くらいでしか見掛けなくなっている。しかし過去には、稲荷寿司を作らない駅弁屋はほとんどなかったようだ。国鉄時代までは駅弁を普通弁当と特殊弁当に分類していたが、助六寿司つまり稲荷寿司と太巻寿司や細巻寿司とのセット商品は普通弁当とされ、あるいは普通寿司や単に寿司と呼ばれた。市販の時刻表の駅弁案内でも、全国の駅弁を紹介する書籍や資料でも、案内が省略されるほど、ありふれた存在であった。
その中で、東の伊東(静岡県の伊東線伊東駅)・西の豊橋と呼ばれたり、日本一うまい稲荷寿司駅弁と鉄道の食通に評されてきた豊橋駅弁の稲荷寿司は、ものすごい存在なのである。
甘い煮汁がたっぷり染みた伝統の旨み
丸くも太くも細くもない端正な形状のおいなりさんが7個、鳥居と社殿とキツネを描くデザインが長らく基本的に変わっていない掛紙に包まれた折箱に収まる。大きなシワの少ない油揚げにはしっかりと飴色が付き、普通の駅弁にはあまりない水気が光っている。
おいなりさんの味を決める油揚げの煮汁は、たっぷり甘く、たっぷり染みている。中身の酢飯はモチモチとサラサラのちょうど中間にあり、しっかり詰まる密度の割にはスイスイと口に入れられる。それでも7個で御飯を2膳は食べているのだろう、食べ終わるとけっこう満腹になる。今の時代に甘さは必ずしも旨さにつながらず、豊橋駅の稲荷寿司は甘いから苦手という声も聞くが、なるほどこれが伝統の、そして昔から評判の味なのだな、と思う。
おいなりさんは、日本のファストフード
この駅弁を食べるのに時間はかからない。豊橋駅には駅の中にいくつも駅弁売店があるため、買うのにも時間がかからない。コンビニやファストフードのお手軽さである。今でこそファストフードといえばアメリカ生まれのハンバーガーなどを指すのだろうが、そもそも稲荷寿司は、すぐ作れて、すぐ買えて、すぐ食べられる、コンビニエンスなファストフードそのものである。
駅弁そのものも、こういう性格を古くから備えていた。コンビニエンスストアが登場する前から、幹線筋の駅弁屋は24時間365日の営業を行っていた。駅弁は昔も今もすぐに食べられる状態で販売されている。助六寿司の駅弁が少なくなったり、駅弁屋もその数を減らしている理由のひとつは、コンビニやファストフードが充実したからだとも思える。それらの始まりがいずれも昭和40~50年代であることからも、その関連性がうかがえる。