彼らのことを本書ではレッグス(LEGs)と新しい言葉で表しました。「Lightly Educated Guys」の略で、高卒時に、お金と時間のかかる重い大卒学歴を選ばなかった、軽学歴の男たちという意味です。軽学歴と言っても、日本の高校を卒業していれば、労働力としての水準はOECD加盟国の標準を上回っています。レッグスたちがその水準を越えていることが、日本の安定した豊かな社会のボトムの高さを支えているのです。
そして本来ならば、高卒ですぐに働き始めれば、大卒層よりも早く生活を安定させて、貯蓄もできて、早く結婚して家庭をもつこともできるはずです。しかし、雇用や収入の面で厳しく、消費や文化的な活動、余暇について総じて消極的になっていることがデータからわかりました。
――なんだかラストベルト周辺に住む白人ブルーカラーの人たちと重なるところがありますね。
吉川:少し前にアメリカでヒットした『ヒルビリー・エレジー』という本があります。その本が出るまで、都会に住むホワイトカラーの白人たちは、どうして都会へ出て仕事をしないのかなどと見ていたわけです。でも、彼らには彼らの論理がある。それに気が付かせてくれたのが同書です。トランプ大統領は彼らに配慮を示したから、支持を得ることができたのだといわれています。
――なぜ、レッグスだけが他の層と切り離されているのでしょうか?
吉川:彼ら自身は、日々の生活に追われるばかりで、積極的に自分たちの立場を主張しません。他の層の人たちも、レッグスが世代を超え繰り返されることに気がついてない。これは意識的に排除しているのではなく、エアポケットのような状態になってしまっているのです。けれども、約4000万人の高齢者と、約2200万人の未成年者を現役世代6025万人がそれぞれの特性に応じて支えているのが日本の現状なのですが、およそ680万人のレッグスだけは十分に力を発揮できずにいるのです。
――彼らに対し、公的なケアがなされず、リスクを負わせている現状をどのように変えていけば良いと考えていますか?
吉川:再三、繰り返している通り、日本では学歴が重要な決定要因になっているにもかかわらず、大学無償化の議論を除けば、学歴をベースにした政策はありません。地方消滅と言われる現在、地方から東京の大学へ進学すると給付型の奨学金を得ることができるようになりました。一方、地元に残り、地域のコミュニティを支え、決して十分ではない雇用条件で高齢者介護などの仕事を受け持っているのは、大多数が非大卒層ですが、彼らにはなんの支援もありません。
大卒層について、大学無償化や私的負担の軽減を議論するのであれば、同じ世代のレッグスに対しての支援も議論すべきです。
大学へ進む学生には月に5万円、年間60万円、4年間で240万円の支援があります。それならば、レッグスがたとえば、高卒後すぐに就職した企業には、彼らを正規雇用すれば同じように月に5万円をその企業に支援するなどです。そうすれば18歳から22歳の間に安定した雇用を得ることができ、シルバー人材や外国人労働者に頼ろうという議論にはならないと思うのです。
若い世代の職業人としての人生を企業の側がサポートするという発想は、高度経済成長期の日本型雇用と、ある意味で同じモデルです。義務教育卒や高卒の若者たちは、企業が正規雇用し、終身雇用制のなかでOJTによりスキルを磨き代えがたい労働力になりました。
――多くの人が、大人になるにつれ、同じようなライフコースを歩んできた人としかコミュニケーションを取らなくなります。
吉川:『日本の分断』では、8つの分類を8人のプレイヤーで構成されたサッカーチームのようなものだと考えています。大卒のフォワードだけがいくら得点し活躍しても、ディフェンスであるレッグスが機能しなければチームは勝てません。それくらい日本社会はギリギリの状態なのです。全員が活躍するためには、この社会がどのような仕組みで、各プレイヤーがどんなプロフィールなのかプレイヤー全員が理解していることが大切です。そうすることで、8人のプレイヤーが支え合って、チームは成り立っているのですから、弱い部分は守ろうという発想になると思うのです。
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