株式会社が出来て500年近くたっただろうか。人類が考えた仕組みの中で最もその発展に貢献したのが株式会社制度かもしれない。資金を無記名で出し、うまく行けば山分け、失敗しても損失額は決まっている。
1700年代には、既に英国とフランスでそれぞれ強烈なバブルが発生し、高値で買った人は痛い目にあっているが、設立に参加した人が損したとは聞かない。また、高値というからには取引所もできていたことだろう。
1553年に史上初の株式会社がロンドンにできたというが、その後、人々は必要に迫られてコーヒー店(新ジョナサン)で株の売買を始めたという記述を読んだことがある。
本来株式とは、公衆に無記名を条件に資金を募って、ベンチャーを企て、出資証券は活発にその所有者が変わることが想定された証券だ。日本では民営化した企業が幅を利かせているので実感がないが、フランス語やドイツ語で株式会社を調べると出自が想像できる。
例えば、フランス語ではソシエテ・アノニム(匿名会社)という意味になる。正体がわからない人たちの集まりという意味だろう。一方ドイツ語では、アクシオン・ゲゼルシャフトで、あえていえば活動的共同体となる。フランス語でも株式をactionと記すが、理由は株の所有者があちこちするからだと想像できる。極論で定かではないが、このように考えると現代の株式会社の理解も深まることだろう。
一方、こちらの話は実体験がある。元々、欧州の株券には小さな番号札沢山付いているが所有者の名前はない。配当受け取りや株主総会出席は番号札で処理していた。増資の払い込みも同様であった。これを切り取り券、すなわちクーポンと呼んでいたのだ。
本来無記名で行動的な有価証券である株式なので、いつの間にか誰かに買い占められ、経営権を要求されることも起きる。
年金や保険、投資信託会社などは、お行儀がよくあるべきなので、買い占め側の株主提案や、オーナー経営者のご無体には何らかの態度を表明する必要がある。しかし、旗色を鮮明にすると困る義理も出てくるだろう。その場合、かつては白票という手もあったが、それを許す時代は終わった。
兜町が “シマ”と呼ばれていた時代は“いろいろあるんだ”で済んでいたが、今はそうはいかない。世界有数の資本主義が花開いたことになっている我が国で上半身タキシード、下は“ふんどし”“わらじばき”は許されない。