2024年12月14日(土)

古希バックパッカー海外放浪記

2018年9月9日

員数確保にロイヤルネイビーは四苦八苦

 当時の英国海軍は志願制である。青少年で自発的に海軍を志願するのは貧困層、失業者、浮浪者などのいわゆる“食い詰め者”。海軍ではあの手この手で勧誘したようだ。

 “金持ちになる方法”(How to Get Riches)という詩が1736年に作られている。『海軍に入れば、お金(wage)、食べ物(food)、ねぐら(shelter)が保証される』、さらには『怪我をすれば生涯年金がもらえ、戦利品の分け前という臨時ボーナスもある』というキャッチフレーズ。

 18世紀末のポスターでは“海軍は高給保証。月給は熟練水兵5ポンド、二等水兵2ポンド、新米水兵1ポンド”と宣伝している。

テームズ河の対岸から望む海軍病院・海軍大学の全景

ロイヤルネイビーは“人さらい”、組織的誘拐で欠員を補充

 戦時には志願者だけでは必要員数を充足できない。海軍では強制徴募隊(Press Gang)を組織、先ずは商船船員や漁船員など即戦力となる熟練水夫を力づくで狩り集めたという。一般水兵要員は都市の浮浪者を片っ端から捕まえたようだ。子供が夕方外で遊んでいると「早く家に帰らないと海軍にさらわれるよ」と、母親は子供を叱っていたというほど頻繁に強制徴募隊は人狩りをしていた。浮浪者の強制徴募は為政者から見ると都市の治安対策という側面もあったようだ。

 ちなみに江戸時代に江戸市中の浮浪者を狩り集めて佐渡島に送り金山開発に従事させたことや石川島に人足寄場を設けたことを考えると、ロイヤルネイビーの強制徴募も理解できるように思われる。

強制徴募隊と慈善団体

 1756年に海事協会(Marine Society)という慈善団体が設立された。当時7年戦争の勃発で数千人の水兵を徴募することが目的であった。ちなみにこの慈善団体は21世紀の今日でも存続している。

 強制徴募隊が狩り集めた孤児や無職少年をロイヤルネイビーに送り込む活動を行い、少年達に制服一式を供与した。軍規では6歳から乗艦できたのである。

 こうした必死の努力にも関わらず、1800年頃の一般水兵の出身地はイングランドが51%、アイルランドが19%、スコットランドが10%、ウェールズが3%であった。すなわち英国本土出身者は83%であり2割近くが植民地または外国出身者であった。

水兵さんの艦隊勤務は辛いよ

 艦隊勤務では様々な規則に縛られ、少しでも違反すると鞭打ちの刑が待っていた。泥酔して騒ぎを起こすと鞭打ちプラス重営倉である。短期間の寄港では外出禁止であり、任務遂行中は休暇がない。一年間全く休暇なしというのは珍しくない。

 代わりに休息のための停泊中は指揮官の判断で規律を緩めて売春婦の乗船を許可していたようだ。大型戦艦では数百人の売春婦が乗り込んで乱痴気騒ぎに興じたという。

 艦隊勤務では塩漬けの牛肉・豚肉、乾燥豆をもどしたスープ、チーズ、バター、オートミール、ビスケットが供された。今日の感覚からするとあまり食欲が湧かない献立に思われるが、当時の貧困層の日常の食事と比較するとかなり上等な食事という評価のようであった。

 特筆すべきは酒類である。基本的にはビールが1人に1日8パイント支給されたという。大量のビールは軍港のビール工場から木の樽に詰められて軍艦に載せられた。そしてカリブ海ではラム酒、地中海ではワイン、バルト海ではウオッカやジン等のスピリットが支給された。生水が短期間で悪くなってしまったのでビールを水代わりに飲んだようだ。また生水をラム酒やスピリットで割って消毒して飲むという役割もあったようだ。

トラガルファーの海戦の勇士たちのそれぞれの人生

 トラガルファー海戦のコーナーの隅に海戦に参加した将兵の略歴が紹介されている。子細に眺めると当時のロイヤルネイビーの実相が浮かび上がってくる:

【ジョン・ローム(1782?~不詳)】
 1803年(21歳)強制徴募隊に捕獲され入隊。トラガルファー海戦では旗艦ビクトリアに乗組む。海戦でネルソン提督が指示した“伝説の信号旗”をマストに掲げた:「英国は総員が自己の義務を果たすことを期待する」(England Expects That Every Man Will Do His Duty)

 その後戦艦“FAME”に転属。1808年スペインのカディス港に寄港したときに脱走して商船で帰国。当時の記録ではナポレオン戦争の最初の二年で1万2千人の水兵が脱走。1809年に寄港のたびに48時間の外出が許可されるようになると脱走兵が激減。

【デー・リチャード・シャー(1788~1867)】
 サフォーク出身。1803年に17歳で志願兵として入隊。トラガルファー海戦時は士官候補生。98門の大砲を備えた戦艦“PRINCE”でトラファルガー海戦に参加。海戦では戦闘終了後にフランス、スペインの水兵を多数救助。その後のナポレオン戦争で北大西洋、地中海、スペイン、エジプトを転戦。敵艦に乗り込み斧、刀で肉弾戦の果てに頭部を負傷。1803~1815までの12年間に2カ月しか休暇がなかった。ナポレオン戦争終結後ロイヤルネイビーの人員削減により給与が半分となる待命予備役に編入。


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