このような「不可能」のレベル分けが重要なのは、現在の人類の文明に不可能なテクノロジーが、ほかの文明にとっても不可能とは限らないからだ。
たとえば、恒星間旅行は、今の人類の文明には明らかに不可能でも、われわれより何百年、何千年、何百万年進んだ文明には可能かもしれない。
というわけで、可能・不可能について議論するには、何千年、何百万年も先のテクノロジーを考慮に入れなければならないのである。
「不可能」なテクノロジーの「可能性」を前向きに追求
カク教授は、カール・セーガンの言葉を引用してこう語る。
「文明が一〇〇万年続くとどんなことになるだろう? 電波望遠鏡や宇宙船ができてから、現時点でまだ数十年。人類の技術文明の歴史も数百年にすぎない。……数百万年もの歴史をもつ先進文明は、サルと比べた場合のわれわれよりもはるかに進歩したものになる」と。
文明の発展レベルについての議論では、民族主義や宗教的原理主義が文明の発展を阻んで自滅させるのではないか、といった鋭い洞察も提示されており、深く考えさせられた。
「一見したところばかげていないアイデアには、見込みがない」というアインシュタインの言葉に象徴されるように、全編にわたって「不可能」と切り捨てられるテクノロジーのもたらす「可能性」を前向きに追求しており、とにかくわくわくさせられる。
楽しんでいるうちに難解な理論物理学が頭に入ってくるという、思いがけないオマケももれなくついてくる。
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