家裁には、こうした大局を見渡す「鳥の目」が求められる。国民の家計に安易に弁護士や司法書士などを介入させるのは禁物である。
百沢は、東京都豊島区のマンションについて所有権も債務も母と分有していたため、その借金返済に母独自所有の土地の売却益を充てたことを、家裁から自己債務解消への流用であるかのようにとがめられた。これは特殊な例ではなく、親が不動産持ちだったり、親子で同族経営していたりした場合は、往々に遭遇し得る問題である。
正統な相続人が成年後見人を務めて、こんな落とし穴にはまるところに、成年後見制度の欠陥があり、改正が必要である。危急の策として例えば、子が分有する財産をいったん親の所有へと改める手続きをとるか、さらに所有を改めたと家裁が見なすなりした上で、売却益を返済に充てる、といった方途は無いのであろうか。後見人と被後見人の幸福のために法律上の知恵を絞ることにこそ家裁の存在意義があり、形式論で後見人を追い込むのは誰のためにもならない。
身上監護を学ぼう!模範はいる
根本的には制度改革を
法曹や司法公務員らが手本とするべき人物がいる。専門職として約100人についての成年後見人を務めた実績を持つ司法書士、仲島幹朗(筆名)を大阪市内の事務所に訪ねたことがある。仲島は、高齢で認知症などの障害を持つ被後見人にどう接触していいのか悩んだはてに、研修を受けて社会福祉士と精神保健福祉士の国家資格を取得した。
著書『本当は怖い! 成年後見 成年後見人には気をつけろ』(文芸社2017年5月刊)の中で「十七年にわたる後見人としての経験と福祉士としての立場から私が常々思ってしまうことは、法律職後見人の独善性である。高齢者や障碍者に対する体系的な知識や経験もなく、やたら福祉関係者に威張り散らす特異性、特権意識である」と批判。また「ある相談事例」として「億を超える資産を持つ被後見人のケースで、認知症でそのうえお体もままならないため、終日、施設の自室で寝たきりの生活を送っておられた方」の身を見舞った事情を次のように紹介している。
――監督人に弁護士がついていたが、裁判所から監督人を通じて携帯電話、新聞、テレビの受信契約を解約するよう言ってきたという。理由はもはや使うこともなくムダだからというのだ。…(中略)…仕方なくその後見人は本人に直接、気持ちを聞いてみたという。「そんなもんまで取られてしまうの…」そう呟いた時の悲しそうな表情を、裁判所に言葉を尽くして伝えたら、やっと審判官もわかってくれたということだった――
東京消防庁の元消防士長・百沢力の成年後見人体験を取材し、筆者自身の経験と重ね合わせ、成年後見制度に携わる法曹および司法公務員は、後見人が担う事務のうち財産管理だけに目が向き、身上監護がより重要で大変なことを理解していないのではないかと疑っていたが、この本を読んでみて、見立てに誤りはなかったと納得した。
法曹および司法公務員は、仲島幹朗のひた向きさと、当事者を思いやる誠意に学ぶべきであり、仲島が指摘した問題点について、己の胸に手を置いて深く自省せねばなるまい。裁判官はじめ一同が、仲島と同じ資格を取るべく学ぶならば、視野が広がり、目線が下がり、国民から少しは信頼、尊敬される仕事ができよう。
だが、人生の最晩年の看取りに絡む成年後見制度の差配を、福祉も税制もビジネスも金融も、実務的な知識が無い家裁に委ね続けるのは土台無理なのではなかろうか。根本的には、多様な実例を検証しての、成年後見制度の抜本的な改革が必要だと確信している。(敬称略、PART3へ続く)