「不都合な真実」を隠し
聞こえの良い持論を展開
玉城デニー陣営が詰める那覇市内の会場では、9時半過ぎにNHKが「当確」を打つと、「デニーコール」が地響きのように鳴り響き、玉城氏は支援者とともに「勝利の舞」を踊った。「辺野古に新しい基地を造らせないという誓いはぶれずにこれからも全うしていきたい」「県民の思いをしっかりと政府に突き付けていきたい」と玉城氏が勝利宣言。
今回の知事選では、辺野古移設反対を旗印に掲げる玉城氏と、移設の是非については最後まで明言せずに経済政策を打ち出した佐喜眞淳氏の「非対称の戦い」が繰り広げられた。直前まで接戦が予想されていたが、蓋を開けてみると玉城氏が過去最多得票数となる39万票を集め、安倍政権が推す佐喜眞氏に8万票もの大差をつけた。
政府与党は翁長県政との対立路線の転換を図るために、幹部らが何度も沖縄に飛んだ。また公明党は、県本部が辺野古移設反対の立場であり4年前は自主投票だったが、今回は組織戦を展開した。しかし、創価学会の三色旗が玉城陣営の会場で振られたのが象徴するように足並みは揃わなかった。共同通信の出口調査によると、自民党、公明党を支持するそれぞれ4分の1が玉城氏へと流れている。
「一体誰と戦っているのか見えない非常に難しい選挙戦だった」と佐喜眞陣営の選挙対策本部長が敗戦の弁を述べたように、デニー陣営は選挙戦の途中から「弔い合戦」に仕立て上げ、翁長前知事の妻や息子を前面に出したのも奏功した。「奥さんの涙ながらの訴えが特に女性に響いた」(佐喜眞陣営の国会議員)ようで、朝日新聞の出口調査をみても6割を超える女性が玉城氏に投票している。
辺野古移設に反対する知事が続くことで、普天間飛行場の固定化が懸念される。この点について玉城氏は、普天間の移設の進展と海兵隊のグアム移転等を切り離すことを決めた2012年の日米合意を持ち出し、「海兵隊の移転が進めば、普天間は閉鎖・返還できるということを訴えていく」と持論を展開してきた。地元紙もこの主張をそのまま掲載している。しかし、日米合意ではグアム移転後も沖縄に海兵隊が1万人の水準で残ることになっており、普天間の返還はあくまでもその移設が実現してからだ。玉城氏に一票を投じたどれだけの有権者がこの「不都合な真実」に気付いているだろうか。
いつか来た道をたどる沖縄
「対立」の先に展望は開けるか
「皆さま方がお気持ちを一つにされるならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」
2009年7月、政権交代前夜に鳩山由紀夫民主党党首(当時)が発したこの言葉は、同党の公認候補として衆院選出馬を控えた玉城デニー氏らの決起集会の中で飛び出したものだった。しかし、政権を挙げて辺野古の代替地を探したが見つからず、鳩山首相自らが辺野古移設を容認し、沖縄県民に謝罪したのは周知のとおりである。こうした紆余曲折を経て、辺野古移設が普天間の固定化を防ぐ「唯一の解決策」に収まったはずだが、いつか来た道を玉城氏は再び突き進もうとしている。