2022年8月13日(土)

この熱き人々

2018年11月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

磨き上げられた道具

 竜の絵を100枚も描かされたり、願い事もないのにひたすら折り鶴を折らされたり。左官になるために絵心と手先の器用さを訓練するための父の英才教育の一環だったのだろうが、本人は密かに絶対に左官にはならないと決めていた。それでも、幼い久住は父に連れられて現場に行き、父に教えられた漆喰彫刻を工作的な気分で作りそれを父が貼ることもあったようで、日常的に左官仕事の現場に身を置き名人の仕事ぶりを見ていたことになる。

 「小学生の時から早く左官以外で自分の人生決めなあかんと思っていました。中学でケーキ職人になろうと決めたけど言い出せなくて、高校3年の時に思い切って父に話しました」

 父の訓練のおかげで、この頃には左官の仕事ができる技術は完全に身につけていたわけで、久住としては強く反対されるものと覚悟していたのだろうが、意外にも父は何も言わなかったそうだ。代わりに、高校最後の夏休みにヨーロッパを旅してこいと、お金を渡してくれた。ちょっと不気味な展開だが、淡路島のケーキ店しか知らない久住の頭は、どんな店を作ろうかということでいっぱい。精力的にヨーロッパのケーキ店を見て回った。

 「でも父は、パリではルーブル美術館、ドイツではケルン大聖堂、スペインではサグラダ・ファミリアなどガウディの建造物というように、必ず見ておく場所を指示したんですよ。僕もお金を出してもらっている手前、ちゃんと行きました。今思うと、僕が感激しそうなところをチョイスした父の設計図に乗せられてたわけやね。父は僕の気持ちなんか何とでもなると思っていたんですよね」

 実際、久住は長い歴史を生き抜いた建造物や、百年以上前から営々と造り続けてなお未完のサグラダ・ファミリアなどに大いに感動、旅の途中でケーキから建物に気持ちがシフトし、帰国後は自分の意志を持って本格的に左官の道を歩き出している。父にとっては、丁寧に土を塗り重ねるように育ててきた息子の心の抵抗を、最後の鏝の一押しで仕上げるようなものだったのだろう。

左官の可能性を伝える

 久住がしばしば口にする、長く生き残るという言葉もまた、子供の頃に父に連れられて見てきた淡路島の農家の家の造り方から感じ取った、左官の仕事の心意気から発しているように思われる。

 「普段はつつましく暮らしながら、家は3代は持たせるために3年くらいの時間をかけて造るんです。築百年二百年は当たり前。大事に造り、大事に使うものだったんです」

 高度成長期を経た日本は、長い時間をかけていいものを作って長く使うというより、手軽に安く早く仕上げて、修理するより壊して新しいものに変えるという考え方が主流になっていった。それでも久住の本拠地の淡路島など地方にはまだ、効率だけではない価値観が存在したが、そんな思いを崩したのは阪神淡路大震災だったのではないかと振り返る。

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