「あの時は、毎日夜中まで必死で直せるものは直しました。でも一刻も早く再建しなければならないという事情もあって、一気にプレハブに変わり、何か建物への思いが途絶えてしまったような気がします」
日本全体が効率の波にのみ込まれていく中で、この先どんなに頑張ってもわかってくれる人がいなくなるのではないかと、恐怖を覚えたと久住は述懐した。
「いいものを作っても値段はどんどん下がっていく。職人は訓練を重ねて技術を磨いても、道具を買うために生きているようなもの。そこまでやって、早さや安さしか評価されないのでは、もう日本じゃ無理なんじゃないかって考えることもありました」
このままでは左官の技術が継承されなくなるばかりか、左官という仕事も言葉も知らない人が増えていく。座して待っていても明日が拓(ひら)けないのなら、自ら一歩前に出て知ってもらわなければならない。
「平らな壁だけでなく、凹凸をつけたり、意匠的に形を作ったりするようになったのは、そんな思いからでした。左官技術にオリジナリティーを加えて表現することで、左官の仕事の可能性をわかってほしかった」
自分の表現をするために、土、砂、藁(わら)、水、海藻などを自ら求め、選び、調合する。素材への思いは深まり、独自に生み出した素材は千種類にもなり、表現する世界はまさに無限に広がる。と同時に、施主が建造物に込める思いを壁で表現してほしいという依頼が増えていく。湿った感じの壁、時を経た壁の表情。難題を前に考え抜き、要望に応えるためにこれまでになかった新しい技法を編み出す。
そして、久住が磨いてきた感性と技法は、さまざまな場所で土壁の美しさと可能性を伝え続けているのである。例えば金沢駅のエントランスの壁、京都や東京のホテルの壁、常滑(とこなめ)市の「土・どろんこ館」の外壁。さらに華道家や瓦職人など異分野とのコラボレーションは、新たな境地を生み出す。放っておけば塞がってしまう左官の道を、自ら切り拓きながら進むラッセル車のような……。ただ久住には、それを悩みながらも楽しんでいる明るい風情が漂う。