2019年3月29日、英国は欧州連合(EU)から離脱する。しかし、この「ブレグジット(Brexit)」が半年後に迫っているにもかかわらず、移行期間や、北アイルランド(英国)とアイルランドの国境における「バックストップ(防御策)」問題など、合意にいたっていない課題がある。
テレビに映るテリーザ・メイ首相の表情は憂鬱に見える。それは、2016年にEU離脱を問う国民投票において、彼女が残留に投票したことからも分かるように、英国の国益を考えたとき、やはりEUに残留したほうが良いと考えているからではないか。あるいは、デービッド・キャメロン前首相の後を受けたとき、国民投票の結果を受けて「EU離脱を進める」と表明したことに縛られているということもあるだろう。
ただし、事ここにいたって政治家に求められるは、国にとって「何が最善か?」と考えることではなく、「これが最善だ」という信念だ。それこそが変革期の政治家に求められるリーダーシップのあり方であり、その教訓は、まさにメイ首相の背後にある。5代前、71代首相で英国初の女性首相である、マーガレット・サッチャーだ。
このほど『マーガレット・サッチャー 政治を変えた「鉄の女」』(新潮選書)を上梓した、冨田浩司G20サミット担当大使に話を聞いた。冨田氏は、外務省に入省後、計7年間英国に駐在した経験を持つ。実は冨田氏、7年前に『危機の指導者チャーチル』(同)を執筆している。言わずと知れたウィンストン・チャーチルは、ナチスドイツのアドルフ・ヒトラーから英国を救った英雄である。冒頭で冨田氏は、このような告白をしている。
「サッチャーについて書くことには大きな抵抗があった。その理由は単純で、彼女の政治家としての業績は認めざるを得ないとしても、人間的にはどうしても好きになれなかったためである。チャーチルについて読者に紹介したい事柄が無尽蔵にあり、また、そうした事柄を書くことに大きな喜びを感じていた。チャーチルに対するような人間的共感を持てないサッチャーについて書くことは、大きな難行のように思えた」
サッチャーという政治家については、冨田氏も指摘するように、「中立的になることが容易ではない」。というのも、彼女が行なった改革が英国国内で大きな軋轢を産んだからだ。
「サッチャリズムによって、失業者が大きく増えました。その社会的インパクトが、大きかったこともあり、当時のことが映画として取り上げられることも少なくありません。そうした負のイメージが私に影響していたのかもしれません」(冨田氏、以下同)
「それでも、執筆するためにサッチャーのことを調べることによって新しい発見がたくさんあり、当初持っていたイメージから変わったのも事実です」
第二次大戦終結後、英国は福祉国家を目指して「国民健康保険制度(NHS)」をつくり、経済政策もケインジアン的、つまり「大きな政府」として進められ、電気・水道・ガス・通信・鉄道はもとより、鉄鋼・造船・自動車・航空機、さらには旅行会社まで国営企業とされた。だが、この結果、経済全体に非効率が蔓延。戦後30年が経つと、経済規模で西ドイツやフランスに追い抜かれることになった。そして、労働組合によるストライキの嵐である。
このような「英国病」と呼ばれる状況にあった1979年、サッチャーは首相に就任した。国営企業の民営化、財政赤字の削減、公共サービスの市場化などを推し進め、さらには労働組合改革として、全国炭鉱労働者組合(NUM)と戦い、彼らのゼネストを阻止することに成功する。いわゆる「サッチャリズム」である。構造改革の結果、再び英国経済を成長軌道に乗せることに成功したものの、この過程のなかで「取り残された人々」も多く生むことになり、今に続く経済格差問題につながった。勝者と敗者は二分されたままで、サッチャーに対する評価を「中立的」にできない理由はここにある。
本書は、この「サッチャリズム」の是非を問うことが主題ではない。信念のもと動いたサッチャーの姿勢そのものにポイントを置いている。つまり「サッチャーという政治家を通じて、政治の変革期におけるリーダーシップのあり方を考察する」ことだ。冨田氏は、本書の執筆動機についてこう話す。
「世界的に既存の政治が、各種の課題を受け止めることが難しくなっています。今の時代と、サッチャーの時代が重なり合う部分が多いと思いました」
「サッチャリズムというのは、基本的にマーケットフレンドリーな政策ですが、上流階級の既得権になっていたシティ(金融界)を改革するべく、ビックバン(金融自由化)も行いました。サッチャーの根底にあるのは『額に汗して働く人』。つまり、自助努力することを重視していることです」