明治の反知性主義が見た中国

2018年11月19日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

武力で勝っても経済で負けては意味がない

「臺灣将來建築土木事業如何云ふ迄もなく」、鉄道工事をはじめとして総督府などの庁舎、官舎、兵営、加えるに「内地より移住の商民家屋改築」を計算すれば、「其需要實に莫大の額に達す」ることが見込まれる。そこで「大需要に應するには供給は如何にすへきや之一大研究を要する大問題なり」と、長谷川は問題を提起した。

 木材業界への技術的意見も開陳しているが、台湾だけでなく、大陸での木材需要も合わせて考えるべきだと建言した後、台湾に対する日本の姿勢に言及する。

「今哉戰勝後の日本は旭日の東天に昇るが如く政治にまれ商業にまれ工業にまれ世界の強國に伍し競爭塲裡に立たざるへからす」。だから「此時に際し舊習を墨守し世界の大勢に後」れてはならない。戦争に当たって「陸海軍人櫛風沐雨の功勞を以て得たる國威も商業塲裡の失敗を以て空しく實力を毀損し唯歷史上の名譽を留むるに過きす」。戦争に勝って国威を発揚しようとも、戦勝を経済活動に結び付けられず戦後世界において経済で劣勢に立たされるようなことになったら元も子もない、といったところだろう。

 ここで、明治28(1895)年6月における勝海舟の呟きが思い出される。

「ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方なくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても支那人には及ばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配するヨ」(『氷川清話』講談社学術文庫 2003年)

 長谷川の危惧は、あるいは勝の“ひそかな心配”に通ずるようにも思える。

 ついでながら確認しておくと、日清講和条約調印が明治28年4月17日。三国干渉が6日後の4月23日。5月4日の閣議で三国干渉を受け入れて遼東半島返還を決定。同半島還付の詔勅が発布されたのが5月10日。20日後の5月30日に北白川宮殿下が台湾征伐に上陸。6月3日に台湾と澎湖列島が正式に日本領に組み込まれ、6月11日には台湾鎮定がなり、17日には台湾総督府が開庁した。因みに、この日を台湾始政記念日と定める。

 慌ただしかった明治28年を振り返ってみると、長谷川にせよ勝にせよ共に日清戦勝後の経済活動の在り様を論じている点は興味深い。

 長谷川は、「我商人殊に材木業に從事するもの」にとって現状は業界飛躍の一大好機であり、積極策に転ずるべきだ。「我先輩業者益勇奮猛進清國の大需要に應すると同時に我新占領地たる臺灣ノ土木建築をして利を外人に得せしめさらんことを計るは實今日の急務と云はざるへからず」と綴り、「終りに臨みて一言諸氏の注意を煩さん」と献策を記している。

「今後臺灣に起るへき土木幷建築事業」は膨大であり、総督府当局は外国の会社にも工事を請け負わせる方針を打ち出した。「商業に抜け目なき外人等」は、その点を捉える。「從前支那政府の土木建築受負を業とせし(ジャアテンマゼソン)商會『有名なる豪商なり』の如きは目下運動怠なしと云ふ」。「英商某は本邦人の名を假りて土木工事を營み居るものあり」。「(ジャアテンマゼソン)商會」にせよ「英商某」にせよ、いったい、どのような手段で台湾総督府当局者から情報を仕入れているのか。油断も隙もあったものではない。

 勝の『氷川清話』に「日本の役人共は馬鹿正直で公私の区別を明らかにせぬから困る。個人としては日本には悪徒も大分居るやうだが、国家としてはまるで馬鹿正直サ」と。

 長谷川は「斯る貴重なる軍隊其他官衙に係る建築を外人の手に委ぬる如きありては實に我當業者の不名譽なる耳ならす一國の汚耻と云ふも亦過言にあらす」。「請ふ我先輩有力の士進んで國益を計り斯業の爲め一大奮發あらんことを切望の至りに堪えす」とした。

 * * *

 長谷川鏡次は東京高等商業学校主計科で学んだ後、東京材木倉庫勤務を経て大湊木材社長。東京材木問屋組合長、東京商工会議所議員などの公職を歴任しているから、根っからの企業家だろう。以上に示した長谷川の考えは『台灣視察報告書』(明昇舎 明治廿九年)からの引用である。

  
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