2024年4月19日(金)

古都を感じる 奈良コレクション

2011年8月23日

 疑問を解く鍵がインドにしかないことに気付いた玄奘は、国外へ出ることを禁じた法を破ってでも西へ向かおうと決意する。

 そして国境に近い瓜州に到った玄奘は、1ヶ月間、そこで沈黙する。インドへ行くことの困難さを、初めて身にしみて知ったのだと思う。

 若さ(26歳/異説あり)の勢いでここまで来たが、非情なる現実を知り、言葉をなくしたのだと思う。

 国境には玉門関(ぎょくもんかん)があり、ここは抜けられない。そこを避けた北の道には五つの烽火(のろし)台があり、警備は厳重。なんとかそこを抜けられても、その先には莫賀延磧(ばくがえんせき)、広大な砂漠が待ち受けている。

 言葉を失った玄奘。しかし、この1ヶ月の沈黙が、玄奘を成長させ、不屈の玄奘へと変身させたのではないか。

 言葉を失う体験は、とても深い体験である。本当に深い体験をすると、人は変わる。

 3月11日の、あの大津波の映像をみて、言葉を失った人は少なくないと思う。私もそのひとりである。復興支援のためにメッセージをと依頼されて、私は書いた。「私は変わりました。3月10日までの私ではありません」。

 皇后陛下が心労で言葉を失われた時期があった。やがて快復なさって言葉を取り戻されたあとに、「もうだいじょうぶ。私はピュリファイ(浄化、純化)されました」とおっしゃったという。 

 やがて玄奘は旅立つ。そして17年後、玄奘は厖大な仏典を携えて中国に戻る。その後は、死ぬまで、ただひたすら仏典の翻訳を続けた。

 帰国から19年後、持ち帰ったすべての仏典を訳し終える前に、玄奘は力尽きて亡くなった。私の胸を打つのは、むしろこの後半生である。

 この後半生も、あの沈黙のなかで胚胎(はいたい)したのだろうか。

 「玄奘をめぐる七つの物語」のうち、もうひとつは「無性ではないのか」だった。

 「五性各別」という仏教の考え方がある。唯識思想にもとづくもので、人間は、菩薩性・独覚性・声聞性・不定性・無性(むしょう)の5つに大別される。「性」は「姓」とも書く。


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