2024年11月22日(金)

日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2019年1月24日

「手作りのデザート」で蒋経国をもてなしたワケ

 1978年、李登輝は台北市長に任ぜられた。当時は市民が選挙で市長を選ぶのではなく、中央政府の派遣によるものだった。国民党の独裁時代、総統の蒋経国による大抜擢である。とはいえ、李登輝がそもそも政務委員(無任所大臣)として政治の世界に入ったこと自体が蒋経国の目にとまったからであった。

 蒋経国は、客観的な評価が二分される人物ともいえる。情報機関を掌握し、言論の自由を奪って国民の自由を弾圧する一方、台湾のインフラ整備を進め、今日の経済発展の基礎を築いた功績でも知られている。私は李登輝の口から、蒋経国に対する批判を一度たりとも聞いたことがない。むしろ、一介の学者に過ぎなかった自分が、望むと望まざるとにかかわらず、政治の世界に入り、国民のため、あるいは台湾のために貢献することができたのは、蒋経国の教えによるものが大きいとさえ述懐する。自分が政治の世界でここまでやって来られたのは「蒋経国学校」で学んだからこそだ、とさえ言うのだ。

(写真:筆者提供)

 もちろん、蒋経国の側も李登輝の能力を高く評価していたわけだが、その陰にも曾文恵の献身的な支えがあった。蒋経国は自分が李登輝を台北市長に抜擢したものの、現実の政治経験に乏しい李登輝のことが心配だったらしい。市長就任直後、夕方になるとよく市長官邸にやって来ては、応接間のソファで李登輝が帰宅するのを待ち構え、どんな政策を進めているのか、どんな問題があってそれをどう処理しているのかを聞いては官邸を後にするのだという。

 とはいえ、李登輝市長の留守を守るのは曾文恵の役目であった。蒋経国がやってくると、曾文恵は、ツバメの巣(中華料理に使われる高級食材)を上手にデザートに仕立て、蒋経国に供したという。それを食べた蒋経国は「こんなにうまくツバメの巣をデザートにしたのは初めてだ」と手放しの喜びようで大満足し、李登輝が帰宅すると市政報告を聞いてから帰るのが常だったそうだ。

 これもまた曾文恵とのおしゃべりのお相手をした際に聞かせてくれたエピソードだが「いくら主人が市長だっていったって、私がしゃしゃり出て蒋経国さんとお話しなんかできないもの。甘いものをお持ちしますから、といえば台所に逃げられるし、食べている間はおしゃべりしなくても済むでしょう?」と少女のような笑顔で教えてくれるのである。


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