2024年11月24日(日)

迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年1月25日

 なるほど、ある程度の嘘をつかないかぎり、選挙で当選すらしない。そして辛うじて当選した場合でも、嘘をつき続けざるを得ないのだ。できれば嘘をつきたくないという良心的な政治家は、真実や本当の考えを率直に言えない場面が多々ある。たとえ事実であっても、ポロリと口を滑らせただけで、「失言」が政治家にとって度々命取りになりかねないからだ。故に彼たちは時々刻々細心の注意を払って言葉を選び、戦々恐々としている。

 これでは議論にならないわけだ。殊に「働き方」とくれば、一人ひとりの国民の利益に直結するセンシティブな議題だけに、炎上したり爆弾に変わったりすることもあるからだ。とにかくこの議題には触れたくない。そういう状況だろう。

政治家たちの「働き方」

 私はあえて、嘘をつく政治家や寡黙な政治家たちを批判しない。彼たちの多くは生活の糧を得るために、あるいはもう少し裕福な暮らしを目指すために政治をやっているわけだから、一種のサラリーマン政治家である。彼たちの行動あるいは不作為を批判するのは簡単だが、もし私たちがその立場に置かれたら、果たして堂々とセンシティブな議論に挑むことができるのだろうか。そう自問したい。

 トランプ氏のような、ずけずけとものを言う政治家は外れ値的な存在だ。彼は巨財を有し、少々の富や社会的地位への欲求をはるかに超えた、超高次元の欲求の持ち主である。センシティブ・イシューであろうと、忌避することなく彼はずけずけとものを言い、異様な、いささか帝王的な存在をあえて誇示してきたのである。(参照:「1ドルで働く大統領の欲求とは」「ずけずけ言う男、トランプ流の選挙マーケティング」

 マレーシアのマハティール首相はトランプ氏ほどの巨財をもっていないにしても、ずけずけとものを言うところだけはトランプ氏に酷似している。

 一方で日本の場合、トランプ氏やマハティール氏のようなリーダーは生まれないだろう。そうした独裁的帝王型のリーダーを包容する風土は日本にないからだ。至る所に同調圧力がかかる日本社会において、政治家たちは自身の「働き方」を決めることすらできなくなっている。自らの働き方改革すらできないでいるのに、どうやって国民の働き方改革に取り組むのか。できるはずがない。だからこそ、働き方改革は民間が自らの力で行うべきであり、企業の人事制度というミクロレベルに着手し、つまりトップダウンではなく、ボトムアップの取り組みによって、真の働き方改革を実現するのである。

連載:迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

  
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