他人の社会を否定しない「寛容性」
実家で父親は自動車部品の設計をしていた。いつも製図板と向き合い、職人肌の人だったという。一方、母は商家の出。東海のクラスメイトにも医師や会社社長、家業を継ぐ者が多かった。漠然と経営者に憧れた。
「中高時代は小説もよく読みましたが、立身出世物が好きだったんですね。花登筐とか柴田錬三郎なんか(笑)。柴錬も時代小説じゃなくて、『図々しい奴』」と宇佐美さん。これには説明が必要だろう。同作は1950年代後半に『週刊読売』に連載され、絶大な人気を博した。岡山の極貧の農家に生まれながら、大志を抱いて上京した主人公が、友人の紹介で丁稚入りした老舗羊羹屋で修業を積み、バイタリティと夢だけで戦前から戦後の混迷を生き抜いていく物語だ。筆者も映画版にしか接していないが、80年代終わりの時点でも、ずいぶん古めかしい小説。それも近所の書店で「一番厚い文庫本だったから」という理由だけで、宇佐美さんは購入し、一気に読了した。
「商売の世界に入りたい—とだけは思ってました。でも、学校では遊んでる集団に属していて、女の子のことしか考えてなかったなぁ(笑)。ともかく出会いのある場を求めて、なにか行動してました。当時はクラブじゃなく、まだディスコですね。あとは栄の愛知県図書館だったら金城学院の子が、鶴舞の(名古屋市立)図書館だったら南山女子の子が勉強しにきてるからとか、そんな感じでさり気なく…(笑)。
そこでビジネスセンスも磨かれた?—だといいんですけど、でもないなぁ。ただ、いろんな特技や趣味を持っている生徒が多く、能力を突き詰めていく感じというのが東海にはあった。受験という、ある一つのベクトルだけでなくていいんだ、と思えた中高時代でしたね。
ただ、東海はともかく医学部志望が多い。医師養成学校ですよ(笑)。部活で一緒だったヤツらも多くは医学部に進学し、医者になってますね。今、採用する側として学生と接していると、平均値的には素直で真面目な子が増えてきていると思う。全体的には安定志向というか…。でも、その中でバラツキ感も出ている。みんなデジタルネイティブ世代だから、ネットで情報は取れる。だからこそ、ツールはあっても、見てるだけの側と、そうでない側の差がついているなとは感じます。
東大とか早慶の最優秀層は、就職もかつては都銀とか商社などを選んでいたのが、今では学生のうちに起業するとか、のっけからスタートアップを目指している。医学部でもマッキンゼーみたいな選択をする人もいるし、もっといろんな経験をし、選択の可能性が増えていい」
という意味で、「Wedge」本誌で紹介した、男子だけで宝塚の舞台を本物そっくりに演じるカヅラカタ歌劇団や、生徒が自主運営し、各界から多数の識者を呼んで年2回催される一大セミナー、「サタデープログラム」などに、宇佐美さんも大きな期待を寄せている。
「東海の生徒はみんな自分の世界を持っている。そして、他人の世界を否定しない。寛容性があるんです」と、宇佐美さんは最後に力強く語った。カヅラカタのような活動は他の学校ではあり得ない。互いの個性を尊重し合う、東海らしさの賜物なのだ。
(写真=鈴木隆祐、校舎写真=松沢雅彦)
日本を代表する名門高校はイノベーションの最高のサンプルだ。伝統をバネにして絶えず再生を繰り返している。1世紀にも及ぶ蓄積された教えと学びのスキル、課外活動から生ずるエンパワーメント、校外にも構築される文化資本、なにより輩出する人材の豊富さ…。本物の名門はステータスに奢らず、それらすべてを肥やしに邁進を続ける。
学校とは単に生徒の学力を担保する場ではない。どうして名門と称される学校は逸材を輩出し続けるのか? Wedge本誌では、連載「名門校、未来への学び」において、名門高校の現在の姿に密着し、その魅力・実力を立体的に伝えている。このコーナーでは、毎回登場校のOB・OGに登場願い、当時の思い出や今に繋がるエッセンスを語ってもらう。
現在発売中のWedge4月号では、東海高校の男子歌劇団「カヅラカタ歌劇団」の取り組みを紹介しています。
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