「民の声」を利用した李登輝
さらには、学生たちを鼓舞することによって、一般の人々の口から「民主化」を要求する声の高まりを企図することもあったそうだ。学生運動が市民に波及することで、「民主化」への要望が社会全体のものに昇華させる必要があったのだろう。
そして最も重要なことは、台湾の民主化が李登輝主導のいわゆる「トップダウン」ではなく、社会の要求にこれ以上抗いきれないという体での「ボトムアップ」方式で行われようとしたことだ。
李登輝が総統に就任してから2年が過ぎていたものの、まだまだ党内には李登輝に懐疑的な目を向ける人間のほうが多かった。そこで民主化を主導するような動きをすれば、たちまちのうちに引きずり降ろされてしまうだろう。
最大の主眼である「民主化」を進めるためには、総統の座を手放すわけにはいかなかったのである。そのために李登輝にとっては「民の声」である学生運動が必要だったのである。
李登輝は軍や警察に対し、学生たちに手出しをすることを厳禁した。学生たちとの衝突が万が一起きれば、「第二の天安門事件」として台湾は中国と同列に語られることになるし、国際的イメージは地に落ちる。なにより、扇情事件が起きることになれば、国民党内における強硬派の意見が再び勢いを得る恐れさえあったからだ。
結局、李登輝は中正紀念堂での座り込みが始まってから5日後に学生代表を総統府に招いて話し合いをしている。その席上、学生たちから示された要望を受け、李登輝はいよいよ民主化に本腰を入れて着手する。
それによって、翌91年には国家総動員法にあたる「動員戡乱時期臨時条款」が撤廃され、数十年にわたって改選されなかった「万年議員」たちを退職させることに成功した。これによって、いよいよ台湾は民主化の新しい時代に入っていくのである。
李登輝が、中国の人々に伝えたいこと
李登輝は昨年6月、訪問した沖縄での講演で次のように述べている。
「中国の覇権主義は、その政治体制が生み出す問題です。中国は愚民政策を施し、国民の民主的思想を抑え込んでいます。中国の人々は、未だかつて本物の民主主義や自由というものを経験したことがないのです。私たちは中国の人々との交流や協力もまた進めなければなりません。
とはいえ、中国の独裁政権がその覇権主義的な野心をアジアにまで広げようとする企てには断固として反対します。すでに民主主義を確立し自由を勝ち取った私たちは、人類の文明に対する責任を有しています。
同時に、中国の人々に民主主義と自由の本当の価値を伝え、民主主義あってこそ本物の自由が手に入る、ということを呼びかけていかなければなりません」
1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。
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