『釜石鵜住居復興スタジアム』
7月27日、ラグビーワールドカップの前哨戦ともいえる「パシフィック・ネーションズカップ(PNC)2019」の開幕戦が、釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムで行われ、日本代表は世界ランキング上位のフィジー代表に34−21で快勝した。同会場はワールドカップの開催会場であり、津波の直撃を受け全壊した鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地に建設された東北・釜石復興の象徴ともいえるスタジアムである。
大会期間中、このスタジアムでは9/25「フィジー vs ウルグアイ」と 10/13「ナミビア vs カナダ」の2試合が予定されている。
かつてこの地には大漁旗をなびかせファンを熱狂させた新日鉄釜石という社会人ラグビーの強豪チームがあった。無骨な男たちが1979年から7年連続日本一に輝き一時代を築いた。しかし、栄枯盛衰は世の習いで、会社もチームも時代とともに姿を変え、無骨な男たちはラグビー界の表舞台から静かに降りて行った。
しかし……2011年3月11日の東日本大震災を機に、かつて釜石を元気づけた往年の名選手たちが中心となって、2011年5月4日ラグビーを通じた復興支援活動を行なうNPO法人「スクラム釜石」を結成した。目指すは釜石、岩手、東北の被災地の復興である。
今回はその「スクラム釜石」発足時からメンバーとして活動するスポーツライターの大友信彦さんに設立の背景と釜石におけるワールドカップ招致の意義を語ってもらった。
――ラグビー関連の著書が多い大友さんですが、ラグビーに関わるきっかけは何だったのですか?
大友 僕の出身は宮城県の気仙沼市です。岩手県の釜石市の近くでしたし、僕の高校、大学の7年間が新日鉄釜石の7連覇と重なっているんです。高校時代無名に近いような選手たちが活躍して、全国の頂点に勝ち上がっていきました。
ラグビーのエリートじゃなくてもここまで成長できる、釜石の活躍に多くの人たちが励まされたのではないでしょうか。
就職の際に希望していた新聞社や出版社に縁がなかったこともあって、最初からフリーランスのスポーツライターとして出発しました。当時はフリーランスのライターという職業が認知されていない時代ですから、釜石の男たちの姿を見て、フリーランスの僕にもできるぞ、と思わせてくれました。 ただ最初からラグビーに特化したライターを目指していたわけではなく、巡り合わせですね。
――「スクラム釜石」が発足した経緯をお聞かせください。
大友 震災から約1カ月後に元日本代表の廣瀬俊朗さんや村田亙さんらが日本ラグビーフットボール協会に働きかけて秩父宮ラグビー場で東日本大震災復興支援イベントを行ったのですが、その後、元日本代表で「スクラム釜石」代表の石山次郎さん他、新日鉄本社ラグビー部の方たちが集まり、「復興支援をどうするか」という打ち合わせをしていると連絡をいただき、僕もそこに参加しました。
その後打ち合わせを重ね、活動するには名前があった方がいいという意見が出て、「〇〇支援」とか、「〇〇プロジェクト」という堅苦しいものより、ラグビーらしいネーミングの方がいいんじゃないか、ということでワイワイ意見を出し合ったあとに「やっぱりスクラムだよね」ということで「スクラム釜石」に決まりました。
――そこから具体的に「スクラム釜石」の活動が始まっていくのですね。
大友 最初の活動は募金を集めることと「釜石シーウェイブス」(※)のサポーターを増やすことでした。とにかくクラブを存続させるには何が必要かを考えました。
ですが、ただお金を下さい、なんていう話ではありません。復興に向けたこれからの釜石のことを考えれば地域に根差した活動でなければなりません。
そこで釜石シーウェイブスの試合に合わせたイベントで新規サポーターを募ったり、国立八大学OB大会やニュージーランド大使杯など、様々な機会を使って「スクラム釜石」の活動を紹介し支援の輪を広げていきました。
でも、その当時はまだ、釜石にワールドカップを呼びたいなんて言える状況ではなく、議題にもあげられない雰囲気でした。
(※)釜石シーウェイブスとは、2001年に創設された日本初の地域共生型クラブチームで前身は新日鉄釜石ラグビー部で、ジャパンラグビートップチャレンジリーグとは、関東・関西・九州の各ラグビーフットボール協会と日本ラグビーフットボール協会が連携し運営するジャパンラグビートップリーグの第2部に相当するリーグ。
――何が状況を変えたのですか。
大友 2011年7月に秩父宮ラグビー場でワールドカップの開催会場に関する説明会があった際に、会場の規模、街の規模、ファシリティーとして何が必要かなど、様々な条件が示されたのですが、「そこの会場で行う意味や価値があるならば、必ずしも全ての基準をクリアしていなければならないということではありません。例えば震災の被災地などがそれにあたります」という説明があって、それを聞いた瞬間にストーリーが出来上がりました。
すぐにメンバーに電話を入れ、釜石でワールドカップを開催する社会的な意義などをまとめて企画書を作り、その週のうちに石山さんらが釜石市長を訪ねワールドカップ開催の要望書を提出したのです。
すると「私の立場でやりましょうと言える状況ではありませんが、こうして周囲から釜石を盛り上げようと声を上げていただけたことはとても嬉しい」という返事をいただきました。
――その後、支援の輪が広がり、活動が活発になっていくのですね。
大友 釜石市長に要望書を提出した週末に神戸製鋼の震災フェスタが予定されていて、そこに「ブースを用意しますので岩手や釜石のものを即売しませんか?」という声が掛かりました。
神戸も阪神淡路大震災を経験していますので、お互いに震災繋がりだったのです。
そのフェスタの中で元日本代表の故平尾誠二さんと松尾雄治さんのトークショーがあったのですが、松尾さんが「今は夢みたいな話ですが、釜石でワールドカップができたらいいなぁ、なんて話をしているところです」と言うと、「それはいい! 僕は絶対に行きたいな、ワールドカップを開催して復興の狼煙をあげていきましょう」と平尾さんが応援して下さいました。
また、震災の翌年には神戸製鋼の選手たちと釜石を訪れた平尾さんはタウンミーティングで「ワールドカップを釜石で開催する意義は、経済効果が数千億円なんていう議論ではなく、開催までの7年間で何ができるかをみんなが考え、夢を持って過ごすことができるじゃないですか。お金に換算できるものではありません」と市民の方たちに話をしてくれました。
それは街にとっても行政に携わる人にとっても、僕たちにとっても指針になるような内容でした。
――東日本大震災と同じ時期に震災に見舞われたニュージーランド・クライストチャーチと連携したチャリティーイベントを開催されていますね。
大友 2011年のワールドカップ・ニュージーランド大会の際に同年2月の大地震で被災したクライストチャーチに立ち寄りました。現地の日本人会の人たちとお会いしたところ、それまでは会として表立った活動はしていなかったけれど、震災を機にカンタベリージャパンデイというチャリティーイベントをやることになったので、その活動を日本でも話題にしてくれたら嬉しいとお聞きしたんです。
それなら、そのイベントを応援するイベントを日本でやろうじゃないかと思って、クライストチャーチ生まれで釜石シーウェイブスでもプレーした元日本代表キャプテンのアンガス・マコーミックさんに相談したところ、「すぐにやろう」と言ってくれて、年に一度開催される「クライストチャーチ&東北復興支援チャリティートークライブ」がスタートしました。
これは「スクラム釜石」の基幹事業のひとつになっています。
アンガスは現地で被災しました。幸いにして宿泊するホテルがあったのですが泊まるところを失った友達や友達の友達が大勢その部屋に集まってきて、ツインの部屋に十数人が泊ったそうです。
そのときのことを「震災は悲しいことだけではなかった。部屋にいろいろな人が集まってきて、新しい友達ができた。だからこそ、できることもある」とアンガスは振り返りました。
それを聞いて涙がぼろぼろ流れました。それは僕にとっても同じだからです。悲しいことだけではないんです。それを被災した人たちにも伝えたいと思いました。
――「悲しいことだけじゃなかった」という言葉は、経験をされた方でなければ口にすることはできません。だからこそ、胸に響くのですね。
大友 確かに、悲しいことだけじゃありません。
熊本、北海道、広島の水害など、その後、日本各地で災害が発生しています。災害が起こると被災した地域の人たちがすぐに応援に行くんです。
今はどんなことに困っているんだろうか、と敏感になりましたし、困っていることが想像できるようになりました。飲み水が必要ですし、食べ物、衣服、マスク、お金が必要です。それにトイレなどにも問題があることを震災の当事者であったり、当事者に近かったりしたことで初めて知ることができました。
みんなが応援していることを伝えるのも大事なことです。
また、僕は年に1度のトークライブの他に「スクラム釜石」とラグビーバー「ノーサイドクラブ」のコラボレーション企画で「釜石ナイト」というイベントを開催しています。
そこではこうしたことをお伝えするようにしていますし、災害が起これば「今度はそちらに募金を集めましょう」と声を掛けるようにしています。
――ワールドカップを目前に控え、ますます釜石の熱は高まっていきそうですね。
大友 今回のワールドカップということでは、「フィジー vs ウルグアイ」「ナミビア vs カナダ」の2試合が釜石で予定されています。そのカナダですが過去にベスト8になった実績のあるチームですが、予選で負けて、負けて最後に世界最終予選で勝ち上がってきたチームです。
対するナミビアは過去ワールドカップに5回出場していながらまだ1勝も挙げていないチームです。
優勝争いには無縁かもしれませんが、そういった国同士の試合にも価値があり、ドラマがあるんじゃないかと思っています。
残念ながら過去の日本代表も同じように優勝争いには無縁のチームでした。それでも日本代表の試合は地元の人たちに熱く応援してもらっていました。優勝とは関係ないながらも、ワールドカップに向けて準備してきたプレーであることをポジティブに受止め応援されていたのです。
そういったことも含めて釜石での2試合もおそらく素晴らしい試合になることでしょう。