2024年11月23日(土)

オトナの教養 週末の一冊

2019年8月15日

総力戦体制の実態とは?

 総力戦体制という形はあっても、それを運用するにもあらゆる「物資」が不足していた。『昭和経済史への証言』(毎日新聞社)を読めば、その実態を知ることができる。上中下の3巻からなるこのシリーズの「中巻」において、『軍需生産の崩壊』として、海軍や商工省で物資動員を担当した岡崎文勲氏(海軍大佐)に聞いている。

 戦前における日本の国力(各種生産力)のピークは、昭和12(1937)年だったという。この年、日中戦争を開始しているが、日中戦争が泥沼化していき、国力が落ちた段階で、さらに太平洋戦争を開始しているのである。

 「米・英・蘭・仏から輸入がストップした場合、わが国の貿易は七割以上縮小する」
 「日米間の昭和16(1942)年における物的国力の差は78対1」

 など、日米の国力の差は当時も明らかであり、それにもかかわらず、戦争に突入した。その背景にある最も大きな要因が、ガソリンだった。

 「戦争を開始して1年半以内に南方から石油が入ってくれば、戦争は続けられるんじゃないか。そうせずに座っておいても訓練もしなければならんし、民間にもある程度流さなければならない。こうしてなし崩しに石油がなくなってしまえば、肺病やみが野たれ死にするようなことに国がなるんだ。だから一つ撃って出て、南方の石油を確保できれば」

 これが、戦争にふみきった根本理由だという。

 一方、『帝国陸軍と航空機工業の崩壊』では、航空兵器総局長官だった遠藤三郎氏(陸軍中将)に聞いている。

 戦争の主役が航空機であることは、日本海軍が真珠湾攻撃や、イギリス海軍のレパルス、プリンスオブウェールズを沈めたことで、世界に知らしめたが、その後、日本は後手に回ってしまった。その航空機生産においては、陸海軍の型式多種不統一(陸海軍合計で、90種の基本形式と164種の変種がつくられた)によって、生産性が悪かったという。

 以上「8月15日に読む」、3冊を紹介した。終戦から74年。日本の歴史上最大の失敗とも言える敗戦から得られる教訓は多い。

  
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