2024年4月25日(木)

オトナの教養 週末の一冊

2019年8月15日

いまだ健在の1940年体制

 74年前、4歳だった野口悠紀雄氏。東京大空襲で九死に一生を得るという経験をした。しかし、出征した父親は帰ってこなかった。こんな原点を持つ野口氏は、『戦後経済史』(日経ビジネス人文庫)のなかで、敗戦後の発展の背景には「1940年体制」があると指摘する。

 これは、1940年代に、岸信介など革新官僚と呼ばれる人たちが、戦争遂行に向けて「総力戦体制」を構築すべく「産業の国家統制」をはじめたことを振り出しに、金融統制(直接金融から間接金融へのシフトによって、銀行による企業支配を強める)、源泉徴収の導入(所得税徴収の強化)などへ統制が広がった。

 さらには、自動車製造事業法によって、自動車の製造を許可制として、フォードなどアメリカ車を日本国内から実質的に追放した。電機においては東芝、日立が、そして日本製鐵もそれぞれ合併して誕生した。

 「40年体制は、50年代、60年代の資源・資金不足の局面において、戦略的な産業部門に資源配分を優先的に行うことを可能にし、それによって戦後の復興と日本の工業化を助けました。それして70年代においては、石油ショックという外からの危機に対して、日本経済全体にとって最適となる対応を可能にするという、大きな機能を発揮したのです」

 こうした成功体験によって、いまだに「日本礼賛=40年体制礼賛」が根強く残っていると、野口氏は指摘する。1990年代以降、情報通信革命などによって、外部環境が大きく変化しているにもかかわらず、その状況に対応した経済体制を構築することができていない。

 日本がアメリカの自動車産業や半導体産業をキャッチアップしてきたように、韓国、中国勢によって、日本がキャッチアップされるのも当然なのだ。だからこそ、新しい経済体制、成功体験が必要で、それを認識している人も少なくないように思えるが、いまだに次の展望は見えてこない。

 野口氏は「豊かになるには、まじめに働くしかない」という。ただし、その方向性が間違っていれば意味がないわけで、産業構造を世界経済の条件に適合させる必要がある。「日本の経済政策は将来において日本を支える産業を生み出すことに集中しなければなりません」と指摘する。

 「経済政策を転換させなければ、『焼夷弾が落ちても、バケツリレーと日本精神で消火できる』と言っていた戦時中の指導者たちと同じように、無責任なことになります」

 これまで日本経済を支えてきた自動車産業も、電動化、MaaS(Mobility as a service)など、その根底からひっくり返されるよう状況が進展しつつある。電機業界においては、スマートフォン、テレビなどのコンシューマー商品など、日本勢の存在感はなくなってしまった。次の時代「この国は何で食っていくのか?」、早急に考えなければならない。


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