メイドインニッポン漫遊録 「ひととき」より

2019年10月25日

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いであつし (いで・あつし)

コラムニスト

1961年、静岡県生まれ。コピーライター、「ポパイ」編集部を経て、コラムニストに。共著に『“ナウ”のトリセツ いであつし&綿谷画伯の勝手な流行事典 長い?短い?“イマどき”の賞味期限』(世界文化社)など。
 

淀屋橋店にて

 リングヂャケットの直営店「リングヂャケットマイスター206淀屋橋店」は大阪のビジネスマンが行き交う街、淀屋橋のオフィスビルに入っている。秋冬物のスーツやジャケットがハンガーに整然と掛けられたラグジュアリーな店内には、国内外から服好きが訪れる。

 創業は、昭和29年(1954)。時代はまさにアイビーブームを迎えようとしていた。創業者の福島乗一(じょういち)さんは、あのVAN(ヴァン)ヂャケット※を創業したアイビーブームの仕掛け人、石津謙介さんと同郷の岡山出身で2人は盟友であった。
※1960~70年代、日本のファッションシーンを牽引したアパレル企業。「みゆき族」の間でも流行した

社長の福島薫一さん。「スーツで一番大切なのは自分に合ったサイズを選ぶことです」

 当時、VANヂャケットのスーツはリングヂャケットで作っていた。社名をヂャケットと表記するのも、石津さんが命名したからである。

 「まぁ石津さんのシャレで、VANはバンバンお金を儲ける会社だからバン。お金は丸いのでリングというわけです」

 苦笑いしながら社名の由来を教えてくれたのは、現社長の福島薫一(くんいち)さんだ。明るいネイビーのスーツに、秋らしくスエードの靴の色と合わせた茶のネクタイ。さすがお洒落な着こなしです。

 父親の乗一さんも大変お洒落な人で、保険会社に勤めていたが、いいスーツは人に頼んでも作れない。ならばと自分で熟練の職人を集めて工房を立ち上げた。それがリングヂャケットの始まりである。

 やがて東京に進出したVANヂャケットは事業を拡げすぎて、昭和53年、アイビーブームの終焉で倒産してしまう。リングヂャケットは地元の大阪にとどまり、細々と、しかし品質にこだわってスーツ作りを続けていた。

 昭和58年、薫一さんが入社する。転機になったのは、90年代の初めに巻き起こったクラシコイタリアブームだ。平成7年(1995)、社長に就任した薫一さんは、イタリア各地に何度も訪れてクラシコイタリアの本場のサルト(仕立て)職人の技術を勉強する。

貝塚市の工場にて。職人は若い男性が多い。希望者に全工程を教える講習会を開いており、イタリアに渡ってサルト職人になった社員もいる

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