「銅鑼灣書店」事件が、香港情勢の深刻さを世界に知らせた
香港情勢の深刻さに、世界が気づいたのは「銅鑼灣書店」事件だったとも言える。その結果、林栄基は香港の居場所を失い、台湾に「流亡」したのだ。昨年9月に台湾に渡った時点で、香港に戻ることは、もはや考えていない。
台湾でウエブの募金を通して600万台湾ドル(約2150万円)が集まった。台湾社会の温かさが身に染みた。新書店は旧正月明けの2月上旬に開店させたいという。
店を出す場所の向かいには百貨店の「新光三越」がある。香港の元の書店の前には同じ日系の「そごう」があった。
「いろいろな面で、前の店と似てるんだよ。ビルの中にあることも。開業したら、しばらくは書店で寝泊まりする。大丈夫。香港でもそうしていたから」
そう話して、また笑った林栄基は、新書店が台湾にいる香港の人々の拠点になると同時に、台湾の人々が香港情報を得るための拠点になってほしいと考えている。
香港で昨年6月にデモが起きて以来、台湾に身を寄せる香港人が急激に増えている。理由は様々だ。嫌気が指して香港の家を売ってきた人もいれば、デモへの参加で警察の取り調べを受ける可能性を恐れて台湾に一時避難している若者もいる。そんな若者たちが、林栄基を訪ねてくることもある。
間違っても香港にすぐに戻ろうなんて考えない
だが、林栄基が彼らにかける声は、あくまでも冷静で、現実的だ。それは自らが徹底的に痛めつけられた経験からくる判断であるのだろう。
「間違っても香港にすぐに戻ろうなんて考えないほうがいい、まず台湾で安全を確保し、生活を安定させ、ゆっくり考えればいいとアドバイスしている。家族が会いたければ、香港から1時間のフライトで会いに来ることもできる。台湾では中国語も通じる。生活費も安い。米国やカナダに移民するなんてあとでいい。香港の運動がすぐに結果を出すのは難しい。中国は本気で香港を抑え込みにかかっている」
1955年生まれで、若い頃から書店で働いていた林栄基は、書店こそ自らの一生の仕事と決めていた。資金を貯めて、1994年、香港がまだ英国の植民地であったとき、初めて自分の店である銅鑼灣書店を立ち上げた。「銅鑼灣書店」は日本でいえば「新宿書店」といったような名前である。私は事件が起きるまで、一度も足を踏み込んだことがなかったが、香港ではよくある、雑居ビルの二階や三階に入る小書店である。
銅鑼灣書店には、本を売るだけでなく、出版の事業もあり、中国では出せないような共産党に関する暴露本や内幕本も作っていた。香港に行かずとも中国でそれらの本を読みたいというファンが多数いた。彼らへ、郵便などの方法で本を送ることも、銅鑼灣書店の大きな収入源になっていたのである。
だが、そのビジネスが、運命が暗転する原因となった。中国での仕事を終え、深圳のボーダーから香港に戻ろうとした林栄基を待ち構えていた公安に拘束された。ほかの仲間4人も中国や外国、そして香港で姿を消した。