2024年4月25日(木)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2020年1月8日

香港人が中国当局によって連れ去られた

 この事件が香港社会に衝撃を与えたのは、香港人が香港での仕事を理由に、中国当局によって香港などから連れ去られたことで、一国二制度の制度設計の基本である独立した司法権が侵害されたと受け止められたからだ。返還後の香港で一度もなかった事態であり、一国二制度の形骸化を世界へ強烈に印象付けた。

 拘束された林栄基は中国の寧波で厳しい取り調べを数カ月にわたって受けた。容疑は違法な書店経営だった。中国で本を売るためには免許がいる。それに違反した、ということだ。しばらくすると広東省に移され、監視生活が続いた。図書館で本の出し入れの仕事を割り振られ、GPSで居場所がわかる携帯も渡された。

 しばしば担当官から連絡も入った。そのうち、香港で「スパイ」になるように要求され、応じるサインをした。「選択肢なんかない。そうしないと生きていられないんだから」。内幕本を買った中国の顧客名簿をとってくるように指示され、拘束から8カ月を経て香港に戻ると、自分に関する報道を読み漁った。香港社会の強い関心に驚き、決断して、民主党の幹部に連絡をとる。会見で告発し、一躍、有名人になったが、香港で書店の仕事ができるようになったわけではなく、鬱々とした日を送り続けた。

心理状態は回復したが、時々、悪夢を見る

 2019年、逃亡犯条例の改正問題が浮かび上がった。林栄基は法案が可決したら、自分が中国へ送り返されることを恐れた。次はどんな処罰を受けるかわからない。台湾に来て心理状態は回復したが、時々、悪夢を見るという。取材の3日前の夢はこんなものだった。

 「3人の黒い服を来た男たちが自分に向かって歩いてくるんだ。私は、逃げたいが逃げることができない。どんどん近づいていく。後ろからも誰かが近づいてくる。動けないんだ。そこでおれは大声で叫んだ。なんで叫んだと思う? 本当なら『綁架(人さらい)』だろ? でも叫んだのは『打劫(泥棒!)』だったんだ。大声で「泥棒」って叫んで、夢から覚めた。汗だらけだった。恐怖は、心の中に沈んでいて見えないようになっていても、時々、こんな形で浮かび上がってくるんだ」

 林栄基によれば、2013年に習近平が中国共産党の権力を握ってから、言論の自由などの普遍的な価値は否定され、香港を全面的に押さえ込む動きが始まった。「私たちの書店だけではなく、批判的な勢力はすべて弾圧されていった」と林栄基は言う。逮捕後に銅鑼灣書店もすぐ、中国政府の影響力の強い会社に買い取られていた。

 「すべて計画通りに着々と手を下されている。私の書店は中国に奪われた」

 拘束事件と習近平体制下の香港への締め付けがどこまで直接つながっているのか、断定はできない。だが、香港人を中国へ連れ去れるという行為そのものが、かつて共産党の革命を恐れて香港に逃げ込んできたルーツを持っている香港人を恐れさせた。逃亡犯条例の反対運動が一気に盛り上がるの導火線は、林栄基らの拘束だったと言える。

 中国が香港に介入を強め、それが香港人の抵抗を生み、ドミノ現象のように台湾へ波及し、中国が嫌っている蔡英文氏が復活を果たした今回の香港・台湾情勢。だが、たとえ今回の選挙で民進党が勝ったとしても安心はできないと林栄基は言う。

 「中国の価値観は、今も昔も変わらない。儒教による序列支配で、その頂点には皇帝が位置する。それは共産党にも引き継がれている。すべてのものには序列があり、その最高位に位置するのが共産党の指導者だという考え方だ。台湾でも、台北だけで、全香港よりもはるかに多い儒教の廟がある。台湾でも中華文化は根強いんだ。これでちゃんとした民主主義の国を作ることができるだろうか。この中華文化の問題を克服しないと、台湾の民主主義も安定せず、中国からの圧力に揺らいでしまう」

  
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