ヒットメーカーの舞台裏

2012年4月30日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 だが、この機構の熟成は容易ではなかった。開発担当者は男性であり、ヘッドスパで女性が感じる心地よさといった官能域のことは、そもそもよくわからない。そこで、この担当者は、いくつかのサロンに出向いて体験を重ねた。また、エステティシャンの指の動きを動画撮影し、繰り返し確認する作業にも没頭した。試作品は約40種類に及び、10年の夏に、ようやく商品の原型が見えてきた。

ブラシの回転、サイズ…
相次ぐ難題を乗り越えて

 ただし、そこからも設計や生産準備段階で難題は相次いだ。設計では、ブラシ部が回転するので髪を巻き込まない構造とする必要があった。量産化段階では、シリコン製のブラシを一体成型するための工法に、高いレベルの技術が求められた。

 本体のサイズももめた。清藤は、家庭の浴室でシャンプーなどを収容する台に置くには、本体の1辺を9センチ程度にする必要があると、強く主張した。しかし、当初案では収まらず、最終的にはデザインを一部変更するなどで折り合いを付けた。世の中になかった商品なので「多くの方に協力をいただいたが、機構の開発から生産に至るまで、いずれのフェーズも大変でした」と、清藤は苦笑交じりに振り返る。

 その甲斐あって、発売前は「需要創造型の商品なので、マーケットを育てるには時間がかかると覚悟していた」ものの、男性顧客もつかむなど想定を上回る売れ行きとなった。

 少女期をフランスで過ごした清藤は、議論好きの現地人とのディベートにもひるまず、むしろ楽しみながら育ったという。取材での的を外さない整然とした語り口からも、“連戦”の名残りが伝わってくる。そこで培った説得力は、周囲からの協力を引き出す資産となっているのだろう。

 ヘアケア部門の商品企画に従事して早や8年。中堅からベテランの域に達する清藤は、次のステップとして「ヘア」にとどまらず、「フェイス」「ボディ」を含む同社の美容商品3分野を連携させ、「トータルのビューティケアを提案する」商品づくりをめざしたいという。(敬称略)


■メイキング オブ ヒットメーカー 清藤美里(きよふじ・みさと)さん
パナソニック アプライアンス社 ビューティー商品企画チーム

清藤美里さん (写真:井上智幸)

1977年生まれ
神奈川県鎌倉市で子ども時代を過ごす。女の子同士ではあまり遊ばず、男の子とケンカする活発な性格だった。
1987年(10歳)
父親がフランスに転勤となり、家族揃って移り住む。日本人学校ではなく、現地の学校で勉強したいと考え、両親に転校を願い出る。「日本語もしっかり学ぶ」「日本の教育課程に対応した通信教育を受ける」「泣き言を言わない」を条件に認められる。ソマリアへ食料物資や援助金を送るボランティア活動に打ち込み、友人と「死刑制度」や「宗教」をテーマに議論した。16歳で帰国。
1996年(18歳)
慶応大学総合政策学部に入学。マーケティング、心理学、法律を中心に学ぶ。若いうちから様々な仕事を任せてもらいたいという思いから、ベンチャー企業を中心に就職活動を行っていたが、父親からまずは大企業の組織構造を学んではどうかとアドバイスを受け、メーカーを中心とした大企業に的を絞る。
2000年(22歳)
松下電器産業入社。スピーカーやコイルなど、携帯電話の生産材をメーカーに販売する部署を担当。大学で学んだマーケティングの知識を活かし、モノづくりに関わりたいと、04年に社内公募で旧松下電工に異動。ヘアケア関連の商品企画に携わる。

 

◆WEDGE2012年4月号より

 

 

 

 

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