中東を読み解く

2020年1月12日

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 イラン革命防衛のソレイマニ司令官の殺害をめぐる米イランの緊張は双方がひとまず矛を収め、全面戦争の危機は回避された。この間、明らかになったのは司令官暗殺が米国のより広範な「標的殺害」の一環だったことだ。「標的殺害」はテロ組織の指導者らを暗殺する米国の“お家芸”。しかし、対象が非国家のテロリストから国家の要人にまで拡大した。「標的殺害」はどこまで許されるのか。

(Smederevac/gettyimages)

昨年のタンカー攻撃後から本格化

 複数の米メディアによると、米軍はバグダッドで革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のソレイマニ司令官を無人機で殺害した3日、アラビア半島のイエメンでもコッズの現場司令官アブドルレザ・シャハライの抹殺を図ったが、失敗した。どのような作戦だったのか、なぜ失敗したのかは明らかではない。

 イエメンではシーア派武装勢力「フーシ」が中央権力を掌握、サウジアラビア支援の政府軍と内戦を続けている。シーア派の盟主であるイランがフーシをどの程度援助しているか、実態は明らかではないが、シャハライ司令官は「コッズ部隊」の財務担当として知られ、ソレイマニ司令官がフーシへのテコ入れのために送り込んだと見られている。

 シャハライ司令官は2007年、イラクで5人の米兵誘拐・殺害や、2011年、米ワシントンでサウジアラビア駐米大使の暗殺を計画したなどの容疑で米政府から国際手配を受け、1500万ドル(16億円)の懸賞金がかけられていた人物だ。1957年生まれとされているが、その素顔を謎に包まれている。

 同司令官の暗殺失敗を特ダネとして報じたワシントン・ポストは「ソレイマニ殺害は公表されたより大きな作戦の一環」と指摘、米国が相当前から周到な計画を進めていたことを示唆した。ニューヨーク・タイムズはソレイマニ暗殺計画が実際に始動したのは昨年5月、ペルシャ湾で日本船籍のタンカーなど4隻が何者かの攻撃を受けた直後からと伝えている。

 当時の対イラン強硬派のボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当、解任)は国防総省や情報機関に対し、イラン攻撃のオプション策定を命令。提出された作戦の中に、ソレイマニ司令官らの暗殺も含まれていた。その後、特殊作戦軍と中東を統括する中央軍がソレイマニ司令官の追跡と監視を始めた。

 しかし、司令官はレバノンの武装組織ヒズボラと一緒にいることが多く、ヒズボラを巻き込めば、イスラエルとヒズボラの戦争に発展することを懸念し、慎重な対応を迫られていた。そうした状況下でも、シリアやイラクの米スパイ網から司令官の行動が逐一報告され、また今回は司令官とイラクの民兵組織「カタエブ・ヒズボラ」の交信を情報機関が傍受、米国への攻撃計画が進められていることをつかんだ、という。

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