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2020年2月7日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

 トランプ大統領の無罪評決、弾劾審議中の一般教書演説など民主、共和両党の対決色が先鋭化するなかで、アメリカ大統領選の候補者選びが始まった。緒戦、3月3日のアイオワ州党員集会は、民主党の集計がまる1日以上ずれ込み、翌日夜、中間集計がようやく発表されたときは、一般教書演説が行われているさなか、という異常事態だった。翌5日には、劾裁判が予想通りの結末で終結した。

(phot705/gettyimages)

 緊張、混乱が影響したわけでもあるまいが、若手のピート・ブティジェッジ氏が勝利、〝本命〟のバイデン前副大統領は4位にとどまる思いがけない結果となった。2月11日に予定されているニューハンプシャー州予備選に向けて、同氏はじめ有力候補が体勢を立て直すことができるか、それともブティジェッジ氏が台風の目となるのか。選挙の構図が大きく変わる可能性も見えてきた。

 過去の予備選をふりかえってみても、有力候補が脆くも脱落したり、無名の候補が本命に躍り出たりといったケースは枚挙にいとまがない。予備選は、後世の語り草になる政治ショーの舞台でもある。

バイデン氏、失速の可能性も

 アイオワ州は候補者指名のために夏の党大会に送り込む代議員の数こそ少ないが、ここで勝利を収めれば、その後の選挙戦の弾みとなるため、伝統的に各候補は力を入れてきた。

 ブティジエッジ氏の勝因については、内外のメディアでさまざまな分析がなされているので、そちらに譲る。バイデン氏の失速は、ウクライナ疑惑が明るみになった当初から、氏自身も〝返り血〟を浴び、それが選挙戦に与える影響について取りざたされてきただけに意外感は少ない。

 ウクライナ疑惑はそもそも、トランプ大統領がバイデン氏に政治的打撃を与えるため、氏とその次男が関与した同国のエネルギー企業のスキャンダルを捜査するようゼレンスキー大統領に圧力をかけたことが発端。それが権力乱用などに問われた。

 このことが、バイデン氏に不利に働いたとしたら、弾劾という代償を払いながらも、トランプ氏の目論見は成功を収めたといえよう。今後バイデン氏が失速していく可能性も否定できない。

〝一番人気〟が不振のケースも

 過去の選挙で、事前の下馬評がかならずしも結果に結びつかなかったことは、少なからずみられた。

 2008年の民主党の候補者選びをみると、人気投票トップのヒラリー・クリントン候補はふたを開けてみたら3位。バラク・オバマ候補、2004年の本選での副大統領候補、ジョン・エドワーズ元上院議員の後塵を拝した。

 クリントン候補はその後も、オバマ氏に押され気味で、結局、オバマ氏が夏の党大会で指名を勝ち取り、11月の本選でも共和党のジョン・マケイン上院議員を破ってホワイトハウスを奪還した。

 オバマ大統領はヒラリー支持勢力からの政権批判をそらし、むしろ協力を取り付けるために女史を自らの政権の国務長官に指名。女史は国務長官の職をこなしながら雌伏8年、前回2016年の選挙で再起を図り、党の指名を獲得にこぎつけた。11月の本選ではトランプ氏相手に、一般投票では上回りながら、選挙人数で敗北、女性初の大統領の夢は果たせなかった。

 2004年の選挙も似た展開だった。再選をめざす共和党のブッシュ大統領(子)に対する民主党候補者選びでは、イラク戦争反対などリベラル色を打ち出したハワード・ディーン前バーモント州知事が当初、リードし、1月のアイオワ州党員集会1週間前の調査で25%とトップだったが、直前に失速。結果はジョン・ケリー上院議員38%、ジョン・エドワーズ上院議員32%につづく3位(18%)にとどまり、ニューハンプシャー州予備選でもケリー氏に敗れ、ほどなく選挙戦から脱落した。

 この時、注目されたのは弱小とみられていたエドワーズ氏が強みを発揮したこと。それ以降も勢いを保ち、予備選を制して民主党候補に指名されたケリー氏から乞われて副大統領候補となり、この年11月の本選をたかった。善戦したものの、現職のブッシュ大統領、ディック・チェイニー副大統領のコンビにやぶれた。しかし、エドワーズ氏にとっては2008年の選挙に再出馬するはずみになった。

 エドワーズ氏はその後、あろうことか不倫スキャンダルなどで政界を去ることをよぎなくされた。

現職の出馬断念、敗北につながったことも

 さらに時代をさかのぼってみれば、予備選の段階で、現職が新人の挑戦を受けて不人気ぶりをさらけだし、本選で敗れ去ったケース、再選おぼつかなしとみて本選を待たずに涙をのんだケースもある。

 1992年の選挙。

 イラクのクウェート侵攻に伴う1991年の湾岸戦争を勝利に導いた共和党の先代ブッシュ大統領は一時、支持率が90%まで上昇。再選確実といわれた。しかし2月のニューハンプシャー州予備選では53.5%とかろうじて勝利を収めたものの、保守の論客、パット・ブキャナン氏の勢いに押され、37・54%まで詰め寄られた。3月3日のコロラドなど3州でも、ブキャナン氏に30%前後の蚕食(さんしょく)を許した。

 内政軽視、経済の低迷による有権者の不満が、湾岸戦争勝利の実績を帳消しにしたといわれ、11月の本選では、ほとんど無名だったアーカンソー州知事、ビル・クリントン氏に一敗地にまみれた。

 第3の候補として出馬した保守系のロス・ペロー氏に票が流れたこともブッシュ敗因の一つといわれた。

 この時、ブッシュ氏の心胆を寒からしめたブキャナン氏のスローガンは「アメリカ・ファースト」。「偉大なアメリカの復活」というトランプ大統領の主張と共通するものがあり、一国主義の先駆者ともいえる。通商問題で日本に厳しい発言を繰り返したこともあって、当時の宮沢喜一首相が「ブキャナンさんなんて、全米で通用する人ではないでしょう」などと口を滑らし、物議をかもしたこともるある。

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