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2020年2月7日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

劇的な展開の1968年の予備選

 われわれの記憶に残る時代、ここ数十年の予備選でもっとも、劇的、記憶に残るのは、何といっても1968年のそれだろう。

 民主党では、1963年に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の後を襲ったリンドン・ジョンソン氏が再選めざし、これにユージン・マッカーシー上院議員が名乗りを上げた。

 当時は、現職に戦いを挑むこと自体が異例で、マッカーシー氏は議会の重鎮ではあったが、候補者としては〝泡沫〟とみられていた。

 しかし氏は、当時泥沼化していたベトナム戦争反対の世論を背景に若年層を中心に幅広い支持を集め、3月12日に行われたニューハンプシャー州予備選ではジョンソン氏の得票率49%に対して42%まで肉薄、実質的な勝者といわれた。

 この様子をにらんでいたのがロバート・ケネディ上院議員。故大統領の実弟、その政権で司法長官をつとめ、いずれは兄と同じ道をめざすとみられていた。ジョンソン氏の意外な弱さを目にし、チャンスがめぐってきたとみて、急遽、出馬を表明した。

 あらたな有力候補が登場したことで、ジョンソン氏は、もはや当選の可能性は遠のいたと判断、3月31日、北ベトナム爆撃中止、和平協議促進を置き土産に出馬断念という苦渋の決断をした。

 出馬のいきさつなどから、ケネディ氏は、「オポチュニスト」(日和見主義者)という批判を浴び、出身地マサチューセッツ州の予備選でもマッカーシー氏に敗れたものの、高い知名度と42歳という若さで徐々に形勢を挽回、両者互角の戦いを展開した。

 ここで衝撃的な事件が起こる。ケネディ氏が、6月4日、カリフォルニア州予備選を制し、ロサンゼルスのホテルで支持者を前に勝利宣言を行った直後に頭部を撃たれ、2日後に死去した。

 犯人は24歳のパレスチナ系青年。ケネディ氏のイスラエル寄りの政策に反発したことが動機といわれた。

 マッカーシー氏が選挙運動を一時停止するなど、民主党の候補者選びは大混乱に陥ったが、結局、ジョンソン氏の不出馬表明を受けて後継として名乗りを上げた副大統領、ヒューバート・ハンフリー氏が、予備選にはほとんど参戦しなかったものの、8月の党大会で指名を獲得するという異例の結末となった。〝漁夫の利〟ともいえる結果だが、党内の古参ボスらの肝いりが背景にあったという。

 ケネディ氏支持者がマッカーシー氏に票を投じるのを嫌い他の候補に分散したのもハンフリー勝利の一因といわれた。

 この年11月の選挙でハンフリー氏は僅差で敗れたが、当選したのは、だれあろう、その8年前1960年の選挙でケネディ大統領に敗れたリチャード・ニクソン氏。奇跡のカムバックといわれたが、2期目の1974年、民主党本部侵入事件に絡むウォーター・ゲート事件で辞職に追い込まれたことはよく知られている。

 このときのニクソン、ハンフリー両氏の得票率はそれぞれ、43.4%。、2・7%というきわどい差だった。

決着はまだま先?

 4年に1度、オリンピックと同じ年に行われる大統領選。アイオワ党員集会、ニューハンプシャー予備選で火ぶたが切られるのは例年通りだが、ことしは趣が大きく変わっている。

 〝ウクライナ疑惑〟をめぐるトランプ大統領の弾劾裁判の判決、一般教書演説による民主、共和党による例年になく強い対決ムード、米世論の分裂が今後の選挙戦にどう影響するか。

 米ウォールストリート・ジャーナルは、こうした状況にもかかわらず、民主党の候補の間には大きな主張の隔たりがあり、候補同士の論戦が当分続き、戦いが終息するには時間がかかると分析。ABCニュース電子版も「勝者はいなかった」と伝えている。

 11月3日の投票日で戦いを制するのは現職、トランプ大統領か。それともきびしい予備選を勝ち抜いて指名を獲得した民主党候補か。

 熱い激しい戦いの季節は、はじまったばかりだ。

  
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