パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2020年3月7日

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 2020年1月、パラアスリートとして初の日本パラリンピック委員会(JPC)の委員長に河合純一氏が就任した。河合氏といえば視覚障害者水泳選手として1992年のバルセロナ大会以来、アトランタ大会(1996)、シドニー大会(2000)、アテネ大会(2004)、北京大会(2008)、ロンドン大会(2012)のパラリンピック6大会に連続出場を果たし、日本人最多の金5、銀9、銅7、合計21個のメダルを獲得した日本のパラスポーツ界の第一人者だ。

 その河合がパラアスリート初の委員長に就任し、本年8月に開催されるパラリンピック東京大会の選手団長を務めることが決まった。

(河合純一氏の過去記事、障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド『教員とパラリンピックの両立 誰もがスポーツを楽しめる都市を目指す』

河合純一氏(筆者撮影)

―初めてパラリンピックに出場したのは1992年のバルセロナ大会で高校2年生のときでした。その当時を振り返って「同じスポーツなのになぜオリンピックとパラリンピックが厚生省(当時)と文部省(当時)に分かれているのか違和感があった」と語っておられました。

 92年当時は競技スポーツと障害者スポーツはまったく別々のものと考えられていたわけですから、いまとは大きな違いがありました。

 現在では障害者スポーツも厚生労働省から文部科学省に移管され、ナショナルトレーニングセンターなど従来はオリンピック競技を対象としていた施設を障害者アスリートも使えるようになるなど、一つの傘の下で国際競技力を高める動きができています。

 ただ、国のレベルでは確かにそうなってきているのですが、都道府県レベルでは話が違ってきます。

 たとえば障害福祉課とスポーツ振興課などのようにいまだ障害者スポーツが福祉として分かれている状況が少なからずあります。

―資料を拝見しますとスポーツ振興課のようにスポーツに統一されている都道府県は全体の3分の1以下のようですね。

 これが市区町村レベルになればさらにその割合が低くなります。国民の皆さんが接点を持っているのは市区町村ですから、それを考えると一般的な感覚では、まだ一緒にはなれていないということでしょう。そこにガイドラインを示したとしても難しい問題は残るのだろうと思っています。国が一本化されたのが2015年10月ですから、まだまだこれからということでしょうね。

―その一方でパラスポーツの競技会場は以前に比べて雰囲気が変わって楽しくなってきたように感じます。2012年のロンドン大会が分岐点となって、パラスポーツを見る目が変わったように思うのですが。

 見る機会が増えたことによって、見る文化というのも出来てきたのでしょうね。それに競技をする人も増えてきている。

 それはロンドン大会そのものというより、そこから学んだ東京大会のプロモーションの成果だと考えています。東京大会の招致が決まって、ロンドン大会を見た我々関係者がレガシーとして有効活用したということです。

 それが5~6年かけてパラスポーツのイメージを広げてきているのかなという感じがしています。

―以前に「障害者がスポーツを行う環境の中で当事者視点が置き去りにされている感がある」と仰っていて、今回のJPCの委員長就任にあたって「アスリートのベストの環境をつくりたい」という言葉がありました。

 まずは僕と選手たちとの距離感が近くコミュニケーションを取りやすくなったことによって、選手たちからの情報を得やすくなりました。しかし、そうした個人的なキャラクターに依存するのではく組織として選手の声を反映するシステムを作らなくてはならないと思っています。

―選手の声を吸い上げるという点では日本パラリンピアンズ協会(前会長)としてもそうした役割がありましたが、JPCとの違いというのはどういった点になるのでしょうか。

 日本パラリンピアンズ協会はあくまでも有志の集まりの選手会です。競技環境をよくしようという選手の声を取り上げる組織ではありますが、あくまでもパラリンピックに出場経験のある選手たちの集まりです。

 一方JPCは日本で唯一パラリンピックに派遣が許されている組織でいわば母体です。また日本で「パラリンピック」という名称を使ったブランディングやプロモーションをすることが許されている組織です。

 JPCの構成員は基本的に競技団体で、パラリンピックに出場していない競技団体も加盟しています。各団体からアスリート代表を集めた会議体を持ち、選手たちの声を聴きながらJPCの考えをしっかり各団体にも浸透させていく。そういった考えのもとにシステムを構築してきました。

 選手の声を吸い上げるという意味ではとても似ている部分がありながら、立ち位置がまるで違う組織なのです。

 僕はJPCの委員長になる前はアスリート委員長としてJPCに関わってそのような仕組み作りに取り組んできました。それが今回のJPCの委員長に繋がったのかなと思っています。

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