2024年4月25日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年5月17日

 「眠らせてくれず、薬ももらえず、脅し、誘導、恐喝、体罰などの手段で罪を白状するように言われ、彼らの書いた供述書に署名するよう迫られた」

 「鉄の椅子に1カ月間ずっと座らされ続け、足が腫れて水桶のようになった」

 「内容を記していない権限委託書に署名するよう言われた」

 「薬物を打たれたり、強烈な光を浴びせ続けたり、黒竜江の零下30度以下の極寒の雪のなかを真っ裸で20分ぐらい放り出され、その後は革靴で踏みつけられた」

 一審の法廷で、馮永明は何度も服を脱ぎ、拘留中にできた傷を裁判官に見せたが、そのたびに制止された。審議8日目、馮永明を殴っていたうちの1人が傍聴席に来ていたため、浦志強弁護士が身を乗り出してその人物のいる方向を指差すと、傍聴席の人たちは大騒ぎして散り散りになり、席を離れようとしたため、裁判長は休廷を伝えざるを得なくなった。

 現在に至るまで二審は開かれておらず、内々に二審を開廷せず、一審を維持する旨の通知が出されている。

家具王・馮永明の輝かしい経歴

 では、今回の事件はどのようなものなのか。

 以下、順を追って問題点を説明するが、その前に馮永明という人物について紹介しよう。

 馮永明は1953年9月生まれで今年59歳になる。72年にハルビン職工軽工学院を卒業後、黒龍江省伊春市五営林業局で木工を学んだ。74年、馮永明は黒龍江省伊春市の第二経済局(集体経済聨社とも呼ばれ、地域経済を活性化するための部門。政府機関の一部)で働き始めたが、79年には「下海(=公務員から民間人になること)」し、倒産の危機に追い込まれた工場を立て直し、家具生産工場を立ち上げた。85年に香港の企業と合資で工場を設立し、その後も「光明集団」を順調に成長させていく。

 馮永明は04年、中国国内誌『新財富』の富豪500人のうち120番にランクインした。また、全国人民代表大会の委員を3期にわたって務め、全国労働模範(労働者の模範となる人物)として国家から表彰されたこともある。民営企業界の重鎮として、伊春市工商業連合会の会長、同市政治協商会議の副主席、黒龍江省工商聨副会長、集体経済協会・中小企業協会副会長なども務めた。

今回の裁判における5つの争点

 馮永明は8億元に上る汚職罪の容疑によって、一審で執行猶予付き死刑判決を受けたわけだが、検証しなければならないのは、企業の改組や株式化の過程で生じたいくつかの問題である。争点は次の5点に集約できるだろう。

(1)企業の改組や株式化、株式の譲渡に関わる手続きは適正に行われたのか

(2)馮永明が法人代表を務めていた「光明集団」は国有企業なのか、民営企業なのか

(3)馮永明自身は国家公務員なのか、民営企業家なのか

(4)罪状にある公金着服や株式略奪の金額は正当に評価されたのか

(5)自白の強要や弁護人選任の権利侵害があったか

 (1)について、A記者は全容を明らかにすることはできなかったという。なぜなら、契約書や登記書類等、すべての元資料はどの関係機関によるのか、隠されたままになっているからだ。デジタルカメラで撮影された記録など、何とか入手できたものを基に事実を洗い出そうとしたが、書類の一部には偽造された形跡がみられるものもあるという。そのため、A記者は主に、(2)から(4)に焦点を当てて馮永明の冤罪を晴らし、(5)の事実確認を行い、事実に応じて責任を追及すべきだと主張する。

 (2)と(3)は、馮永明が公的な立場にいると認定できるかどうか、つまり、本件において汚職罪を適用する主体となり得るかどうかという問題が関わる。


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