聖なる都市は商売っけ盛ん
この話は頭の片隅に、今からは市場探索だ。ラフィッドが「さあ楽しんで」と言い、一歩前へと踏み出した。
両脇にならんでいるのはアラブ風の雑貨屋、金のアクセサリーを売る店、絨毯や、アバヤやヒジャーブを売る店、男性用のアバヤやクフィーヤに黒い輪っかのゴトラを売る店も。そしてアラブスイーツの店。平日の昼間だというのに人通りも多い。大皿から切り売りしているお菓子屋があった。
「これはナジャフ名物のダヒーナ。試食してみたい?」
出来立て熱々、ドロドロもちっとしたお菓子。アラブスイーツよろしく激甘だが、この食感は嫌いじゃない。男性たちがせっせとダヒーナを切り取り、紙箱に入れてゆく。
見とれているとスイーツを作る後ろではイマーム・アリーとライオンが描かれた絵が飾ってある。スイーツと宗教という組み合わせ。和菓子屋に神棚や仏像が飾ってあってもそれほど驚かないが、アリーの顔はインパクトがデカすぎる(記事冒頭の写真参照)。
シーア派に大人気のお土産グッズ
ラフィッドが指差したのは黒や緑色の文字が書かれた長さ1メートルほどの布。重厚な刺繍が施してある。
「なんて書いてあるの?」
「殉教者 フセインを愛する、とかそういうこと」
なるほどお土産グッズもシーア派的なのか。バグダッドに来た時から少しずつ感じていたけれど、シーア派であるということを強く意識させるものがたくさんある。イスラム教徒である以前に、「シーア派」であることがまず強調される。
シーア派であることはすごく具体的だ。個人名が出てくる。スンニ派の人からはそんな歴史の話はまず聞かない。世界的なイスラム教徒の人口では自分たちが多数派だからそんな違いを強調する必要もないのだろう。
イマーム・アリー・モスクでの競争と癒し
市場の一番端にたどり着いた。ここを通り抜けた向こうにイマーム・アリー・モスクがあるのだ。2度の荷物検査と、身体検査を受けて、いざモスクの敷地内へ。
そこは中庭のような場所だった。大きなタイルが引き詰められ、その上に美しい模様の絨毯。数十メートルはありそうな星形のパラソルも並んでいる。閉じているパラソルは蕾のような形をしていて美しい。お香のいい匂いがする。
時がゆったりと流れ、それぞれがお祈りをしたり、コーランを読んだり、おしゃべりをしている。なんというか楽園みたいな光景だ。聖地ナジャフをもっとおどろおどろしいというか、厳粛な空気が漂う町かと思っていたが、とても明るい雰囲気なのだ。
「こんなにモスクが綺麗になったのはここ数年のこと。4、5年前に来た時はこんなじゃなかった」
イランのお金がかなり入っているらしい。ラフィッドとともに、女性側の入り口から中央の建物に入る。入り込んだその場所は天井には銀色に輝く小さな凹凸のパネルのようなものがついていて、反射し合ってなんとも言えない不思議な空間を作り上げていた。
ぼーっと見とれていると、ラフィッドに尋ねられる。
「行ってみる? どうする? オッケー、行くのね。ま、何か悪いことがあるわけじゃないし。行くわよ!」
返事はしたものの訳が分からず。たどり着いたはの建物の中央にある銀色の格子で囲まれた「何か」の前だった。
「楽園のようだ」と言ったさっきの言葉を覆す光景がそこには広がっていた。その銀の格子の中にはシーア派初代イマームのアリーの遺体があることになっているのだ。女たちが銀色の格子に触ろうと、相手を押し分けかき分けもみくちゃになって群がっているのだ。
女たちのワーワーいう声が響き、格子に向かおうとする女の体が波のように押し寄せている。「我先に」の姿そのままだ。自分優先、自己中心的な姿をさらして、神もアリーも慈悲をかけてくれるのだろうか。仏教の「蜘蛛の糸」の話を思い出しながら私ももまれていた。
みな1秒でも長く触っていたいと思うのだ。一応、係の女の人が一段高いところにいてはたきのような棒を持って、度がすぎる人にはそれで注意しているが、そんなのお構いなしだ。
ラフィッドにひっぱられて一瞬、触ることができた。シーア派でもない私が軽々しく触るのもどうかと思ったが、アリーさんの「墓参り」だと思えばいい。押し潰されてぺしゃんこになるかと思った。
その後にモスクの建物で面白い光景を見た。広々と敷かれたふかふかの絨毯の上に丸くなって寝転がっている人があちこちにいるのだ。となりでお祈りをする人もいる中でのこと。アバヤを着てコロンと丸まって寝ている姿はまるでダンゴムシのよう。
「モスクで寝ていいの?」
「もちろん!長旅で疲れた人も多いからここで休む人もいるの。24時間開いているしね」
私も真似して寝転がってみる。横になったまま目を開けると、どこからか入り込んだのかハトやスズメがモスクの中を飛んでいるのが見えた。小さい子どもたちが喜んで鳥たちを追いかけ走り回っている。なんて穏やかな光景なのだろうか。
モスクで行った女性用のトイレも女の園で興味深かった。大きな布で塞がれた入り口の向こうで、女性たちは「ふー、アバヤは重いし、疲れたわ」といった様でアバヤを脱いでぐるぐるとまとめて連れの誰かにポイっと渡して、洗面台で腕をまくりあげて顔手足をバシャバシャ洗っている。
アバヤの下にスパンコールでキラキラした英語の文字でLOVEとか書いてあるトレーナーとジーンズのスカートを着た10代の女の子もいた。
ラフィッドが、目だけ出すスタイルのアバヤを着た人の着替えを見て、
「ああやって装着するのね。目が強調されて魅力的に見えるから、私も買おう!」とウキウキしている。
シーア派の聖地、ナジャフ。ハート型のかわいいイマーム・アリーらの旗と、楽園のような美しいモスクでの光景と、我先に銀色の格子に触れようとする人々の波と、トイレでのファッション・チェックとどうにもこうにも収まりきらない。
午後15時、タクシーでラフィッドの友人宅へ向かう。
(つづく)
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