2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年5月28日

 光福から連絡を受けた何培蓉と郭玉閃は、22日正午、運転手を雇い、車で北京を出発した。陳は西師古村からさらに安全な、臨沂市に隣接する新泰市に避難しており、何と郭は同市内の隠れ家で陳と対面した。

 郭は、強制中絶・避妊問題を告発するため05年に北京に来た陳光誠と会い、古くから友人関係にあったが、何が陳と会ったのはこれが初めてだった。陳は足を骨折していたが、気迫にあふれ元気だった。

 陳の記憶によると、車で北京に到着したのは23日朝。陳は、郭の用意した北京市西郊の「警察の知らない安全な隠れ家」(何培蓉)にかくまわれた。

「米大使館保護計画」はなかった

 何培蓉と郭玉閃は、陳も交えて今後の対応を話し合った。何は当初、「米大使館に保護を求める計画はなかった」と強調し、こう続けた。

 「われわれの最大の目標は陳氏を自由にすること。そのためには陳氏を北京に脱出させた後、インターネットなどで『陳光誠脱出』を明るみに出し、内外の注目を集めさせ、彼の安全を保証することが重要だった。山東に戻らなければ、それでオーケーだった」

 その計画には、中国国内に残り、人権擁護活動を続けたい陳光誠も賛成していた。この計画をより具体化するため陳は23日、北京の「隠れ家」で、温家宝首相向けビデオメッセージを撮影、地元当局による過酷な迫害の実態を暴露し、地元当局への徹底した調査を要求した。「高層(最高指導部)の介入により解決することが目的だった」と何は明かす。

 3人は「26日午後9時」に「陳光誠脱出」を明るみに出し、同時にビデオを公表することも決定した。

「日本政府は中国人権に関心を持つようになる」

 何培蓉の計画はそれだけではなかった。日米両国政府を動かすことだった。「午後9時公表」というのも、北京は夜だが、ワシントンは勤務時間帯というタイミングを狙ったものだった。

 「北京の米大使館に行くという計画はなかったが、ワシントンの支援者を通じて米国務省に連絡しようと考えた。それと同時に日本政府が(米国と)同様の声明を出してくれるよう希望した。中国政府がわれわれを拘束した際、外交ルートを通じ、釈放や陳光誠問題の解決を中国側に要求することを望んだ」。何はこう明かし、「なぜ中国の人権問題にさほど積極的でない日本なのか」という筆者の素朴な疑問にこう答えた。

 「私は最近、日本と米国の外交戦略を研究してみた。米国の今年の新たな戦略は『アジア回帰』であり、米国は最も重要な協力パートナーが日本だと認識している。私は、日本の将来の外交は次第に中国の人権問題に関心を持つようになると考えているんです」

野田首相の言葉を評価する何培蓉

 余談だが、筆者が5月13日に野田佳彦首相が北京で温家宝首相と会談した際、陳光誠問題などを念頭に「国際的な普遍的価値の一層の理解と追求のため日中人権対話を活用し、協力していきたい」と提起したことを説明すると、何培蓉は非常に評価した。

 一方、何にとって中国の人権問題に強い関心を持つ欧州はどういう存在なのか。「欧州の経済危機は非常に深刻で、フランスなどは大統領選挙がある。アジアの事情という点から言えば、アジアの中で非常に大きな影響力のあるのが日本。今回、私は欧州連合(EU)側には通知していない」(何培蓉)


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