2024年11月23日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年5月28日

 陳光福はついに、弟の光誠と同様、軟禁状態にあった東師古村を脱出し、北京に行き、5月24日に丁弁護士と面会するのだ。光福の要望は自分たちの信頼できる弁護士を選任することだった。

人権活動家・胡佳夫妻との面会が転換点に

 話を元に戻そう。まだ「陳光誠脱出」という事実が公表されていない4月26日時点で既に、中国当局はこの極秘情報を入手していた可能性が高かった。

 なぜ陳光誠は、これまで想定していなかった米大使館行きを考えるようになったのか――。陳は25日午後、北京の隠れ家で人権活動家の胡佳、曽金燕夫妻と会っている。胡佳夫妻は陳夫妻と古くからの友人で、人権活動家の夫が迫害されて獄中にいて、妻が幼い子供を育てるという境遇が似ていた。

 警察に監視されている胡夫妻と秘密裏に会うことは非常に危険だったが、「われわれ友人の感情は非常に深く、長年、(胡佳夫妻には)会っていなかった。非常に会いたかった」と陳は電話取材に語っている。

「北京は危険」 大使館行きを決意した陳氏

 陳は胡佳夫妻と会って以降、大使館行きを決意するようになった。筆者はこの経緯も陳に電話取材で聞いてみた。

 「北京はやはり非常に危ないと感じた。26日時点では山東省は既に多くの人間を派遣し、私を拉致して連れ戻す準備をしていた。だから米大使館に手助けしてもらおうと思った」。陳はこう振り返っている。

 25日に胡夫妻が陳と面会した際、同じ北京の隠れ家にいた郭玉閃も26日昼に行方不明になった。同日午後に陳は無事、米大使館に保護されたが、極めて危ない状況に置かれていたことは間違いなかった。陳は翌27日、バリ島での休暇を切り上げて北京に急きょ戻ったロック大使と面会した。

 南京にいた何培蓉は、陳と胡佳夫妻の面会も含めて情報が入っていなかった。27日未明に在米支援者を通じて米国務省に連絡したが、米政府は既に陳が村を抜け出したことを知っていた。しかし米側は何培蓉側に対して陳が大使館に保護されていることまで知らせなかった。27日早朝にもスカイプで筆者にこう伝えた。

 「われわれは陳光誠を救出した。彼は今、北京にいるが、現在最も危険な時だ」。そして何はこの日午前、警察に拘束されてしまった。(後篇に続く)

後篇は、「陳光誠の揺れた心情と米中交渉」についてです。

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